リアル・ギャングスター安藤昇の主演。
チンピラから岐阜、名古屋の大物にヤクザにのしあがる男、河上純一を演じるから、なんか本人役的な当て込みだよね。
これに限らず安藤昇はヤクザ映画だとだいたいかっこいい新興勢力の親分役が多いよね。
気っ風のいいだけのチンピラの元にその人間力に魅了された男達が集い、組織として大きくなる過程はギャングやヤクザ映画の定番なので、そこは外さずきっちり観たい画を見せてもらった。
これ、1967年なせいか、仁義なき戦い以後のドライなスピード感と任侠映画の古くさい様式が変に混じりあってて、中盤から話がギクシャクしてくる。
仁義なき戦いの6年前だけど、かなり仁義エッセンスがあった。
任侠映画が下火になってきて次を模索してた時期だったのかと。
でも、反面、古くさいとこもある。
若い頃から河上に何かと目をかけ庇ってきた刑事との友情を結び、刑事の顔を立てるために事を納めたりする。こんな感じのウェットな場面がけっこうある。
この刑事との話と地方の旧勢力のヤクザ達との抗争の非情で合理的な感じが全然合ってないんだよ、、物語が失速しちゃう感じで、、
何より刑事と話す時は義理や人情の話になるんだけど、実際の河上がやってることってそーゆー昔のヤクザ的な手法じゃくて、外交で強い組をバックにしたり、経済活動も実入りのいい実業にドンドン食い込んでいく。
だから完全にノリとしては"仁義なき戦い"よりなんだよね。
事相をナレーションを多用して処理しないと収まらない抗争関係図、大規模抗争になりそうでならない展開。
実際の人や抗争を下敷きしてる気がした。
この辺のリアリズムに焦点絞った方がおもしろくなったと思う。
所々顔を出す、任侠ノリのがかなり残念だった、、笑
これが過渡期ってことなのかな?