海

風たちの午後の海のレビュー・感想・評価

風たちの午後(1980年製作の映画)
5.0
3/25
異性に恋をするのより、ずっと透明な思い。あの2人の部屋で2人で生活していくことが夏子の幸せで、夏子の愛のかたち。そんな透明な思いも、女が女を愛するというタブーさだけで社会に受け入れてもらえない。
風は目に見えないというようなことが、最初に述べられていたが、夏子も風のように透明で、見えない世界の悲しい存在。衝撃のラストはある日の午後に起こるが、死や事件に至ってから見えない者たちの存在が初めて認知される。だから"風たちの午後"なのかなと考えた。
もし、設定が現代なら、夏子は次の恋に向かうことができたのではないかと思う。同性愛もそれなりに受け入れられている社会になっているから。しかし、あの時代では、自分ですら同性愛者という現実を受け入れられてないと思う。失恋した時に女の人が思う、他にも男はいる、と同じように他にも女の子はいる、だなんて思えないと思う。まさしく最初で最後の恋で、これ以上人を愛することは考えられなかったのだと思う。

女の子どうしの密やかな楽しい会話が音で表現されていた。会話の内容が重要なのではなく、あの独特の空気と音が女の子どうしの会話なのだなと気付かされた。

こんなに悲しい映画は初めてだった。感動するような泣ける映画なんて作り物くさいなと改めて思った。本当に悲しいことは、とても痛くて救われなくてどうしようもなくて、観賞後、世界が冷たかった。私はどうすればいいのだろう?と問い続けたが何も答えは出ない。

誰を愛するのかは自由だ、しかし相手に愛を受け入れてもらえるかは分からないのが、この世界のどうしようもなさだ。思いが真っ直ぐで透明でも、愛してもらえるわけじゃない。じゃあ私達にできることは?誰かを愛する人を馬鹿にしない。性別なんてなんでもいい、あなた1人の人間性を愛しているのだから。
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