Keiko

ガス燈のKeikoのネタバレレビュー・内容・結末

ガス燈(1944年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

人は、1人では「自己」を確立することができない。確かに見えている物も、他者に「見えない」と言われたら、本当は見えていなかったような気がしてくる。絶対に初めて聞いた話でも、「前に話したよ、また忘れたの?」と言われたら、自分ではなく相手のことを信じてしまう。それがきっと人間の心理だ。

ミステリーとしてはかなり単純で、もはや冒頭から「この男怪しすぎるな」と思わせるような脚本なんだけど、本作が描きたいのは「自分のことを信じる難しさ」「自分を信じられない恐怖」なんだと思う。

「ガス燈」は、タイトルにもあるようにかなり重要なキーアイテムだ。殺人事件が起きた館で、なぜか毎晩ガス燈の火が小さくなるという演出は、ポーラ(イングリッド・バーグマン)を追い詰める役割だけでなく、映画を見る私たち観客の恐怖を煽る効果も担っている。
刺激に慣れている現代人なら、この程度の演出を怖がることはないかもしれない。でも、当時は今よりもホラーチックな印象を受ける作品だったんじゃないかな。

それにしてもイングリッド・バーグマンって、幸薄い美女の役が似合いすぎるな。『カサブランカ』(1942年)のイルザ、『誰が為に鐘は鳴る』(1943年)のマリア、そして『ガス燈』のポーラか……

この映画が由来で、人をマインドコントロールして追い詰めることをガスライティング(英語でガス燈はGaslight)と言うらしい。
映画『グランド・ホテル』(1932)が由来で、群像劇をグランドホテル形式と呼ぶことを思い出した。昔は映画から新しい言葉が生まれていたんだなぁ。面白い。
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