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サイダーハウス・ルールのYYのネタバレレビュー・内容・結末

サイダーハウス・ルール(1999年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

サイダーハウス・ルールを見て号泣した。

それは、主人公ホーマーが目にするやり
きれない現実に対しての悲しみでもあり、ホーマーの育ての父、ラーチ医師の愛情深さに対する感動でもあり、何より、登場人物たちが意思を固め、実行するその姿の力強さに胸打たれたのだ。

ホーマーが孤児院で医師として働くころ、彼は堕胎に頑なに反対していた。セリフから察するに、当時のアメリカで堕胎は違法だったのだろう。しかし、孤児院ではひっそりと行われていた。恐らく彼にとって堕胎を認めることは、その孤児院で育った彼自身を否定するに等しかったのだろう。実の親に見捨てられた自分は、生まれてきても来なくても一緒だったと言われているような思いだったのかもしれない。そんな彼の自己肯定感の低さを見抜いての言葉だったのであろうか、父であり医師である彼の「どんな形であれ、人の役に立て」という言葉は。堕胎に関しては現在でも様々な意見があると思う。頑なに堕ろすことを認めない人は流石に現在では少数派だとは思うが、悪いイメージを持つ人は多い。しかし、「望まぬ妊娠」にも色々な形があって、特に映画に出てきた親子のようなケースは明らかに女の人が不利な状況だ。あのようなことは、現在恵まれた国で起こることだとしたら明らかな悪意と利己心によるものがほとんどであると思うが、発展途上国で起きる場合は完全なる無知が原因なのかもしれない、と映画を見て感じた。なぜなら、娘の堕胎を目にして、痛みを目にして、その上で父親がどう感じたかが描かれていたから。本当に、あの父親は知らなさ過ぎたのではないかと思うのだ。望まない形で愛する女性を孕ませることが、どれだけの痛みを伴うのかということを。

人生のあらゆる局面で自分で決めて、生きること。それこそが人生の醍醐味であると、この映画は教えてくれる。ラーチがホーマーのことを実の息子のように心から愛し、心配したことも、ホーマーが孤児院を飛び出したことも、キャンディがホーマーを愛したことも、ローズが父を刺し逃げたことも、ローズ父がそれを自らの業の報いであると受け入れたことも、キャンディがウォーリーを迎え入れ再び愛そうと決めたことも、ホーマーが孤児院に戻ると決めたことも、全部全部自分で決めたことで。そんな各々の決断でたくさんの人生が成り立っているんだと考えると、人生が愛おしい。「何もしない。なんていい考えだ。自分で決めなくたって勝手に決まっていく。決断しなければ誰も傷つかない。何かが起こっても誰のせいにもならない。」ホーマーのこのセリフには、「だけど、それじゃあつまらない」という言葉が隠れているような気がしてならない。だって彼は自らの意思で孤児院を飛び出したし、人に書かれたルールを燃やして、最後には生まれ育った孤児院に戻ってラーチ医師の跡を継ぐことを選んだのだから。
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