映画史に残る前衛映画
映画監督や創作活動にはある一定のスランプが陥る時があるそれすらもフェリーニは原動力にして自身の人生と交えながら妄想を描く
あちこち全く意味不明なシーンがあるのはフェリーニ本人の記憶の中から映し出した物なんだろうな
当初、幽霊のような白い服を着た登場人物たちが、列車に乗ってどこかへ向かうシーンがラストシーンとして撮影されていた。食堂車のセットに満員の乗客、乗客のアップ、セリフなし、という葬式のようなシーンである
グイドの「人生はお祭りだ。」という独白の前の数カットに白い服を着た複数の登場人物が映っており、この列車のシーンの登場人物を彷彿とさせる。だが、このラストシーンは破棄される
ラストシーンの前に、グイドが自殺したことを暗示するシーンがある。右のポケットに拳銃が入っていることを示唆するセリフ、銃声、グイドの頭が床に落ちる、というシーンである。そのあと、輪になって踊るラストシーンにつながるため不確かな印象を与えるが、当初予定されていた葬式のようなラストシーンにつながると、グイドの自殺が鮮明となる
だがフェリーニは逆に全てを肯定して明るいラストにしたんだろうね
でもこれってフェリーニていう大監督だから名作扱いされる作品ではある