スギノイチ

涙のスギノイチのレビュー・感想・評価

(1956年製作の映画)
4.2
若尾文子の設定だけなら『青空娘』に近いが、増村映画の主人公の様な自我の強さは全く無い。
ろくでなしの父親を憎みきれず金を渡し、風来坊な兄への世間評に辛い思いをし、親戚のイビリにも耐える…ザ・昭和の薄幸女性という感じだ。
『青空娘』の若尾文子なら、あの意地悪な義母や義妹の横っ面の一つでもひっぱたいているだろう。

若尾文子には恋人(石浜朗)がいるのだが、この恋人、ちょっとイラつかせるタイプの青年だ。早い話が恋愛脳である。
人生を諦観する若尾文子の心情も思いやらず、隙あらば駆け落ちを企画し、思い通りに心が通わないと見るや癇癪を起こして「どうしてだ!僕のことを愛していないのかい!」など叫んで拗ねる有様で、若尾文子とは精神年齢が10歳ぐらい違うと思われる。
苦悩する若尾文子の前に、無理やり進められた見合い相手・田村高廣が現れるのだが、こっちの方が度量も深いし遥かに良い男だ。

田村高廣も良いが、兄貴役の佐田啓二も良い。
いつもは優等生的イメージが強いが、本作でのヤカラっぷりもハマっている。
ヤカラとはいえ、どこか理知的な雰囲気があるのは佐田啓二の強みだろう。
飲み屋の情婦(杉田弘子)の「始めっからこんな女じゃなかったんだよ、昔はいい娘だった」という自嘲に対し、「今でもお前は良い娘だよ」と優しく諭すシーンが絶品。

メロドラマとしては、田村高廣が若尾文子の心を溶かした時点で切り上げても良いところを、祭りのシーンでさらに上のレベルに押上げていて、本当に素晴らしいと思う。
ただ、あの”手”のジェスチャーは少し過剰。
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