確かに気高いポーランドの公爵夫人をインリド・ベリマンはこなせるが、彼女はコメディーには向かない。また、その相手役のメル・フェラーも彼がアメリカ人と知っている観衆にはフランス人伯爵の役では説得力がない。配役としては、ロラン将軍役のジャン・マレーと、映画後半のストーリーの狂言回しも演じる脇役の、フランス・シャンソン界の、当時の女王ジュリエット・グレコが本作を取り敢えず持たせてくれる。
実は、「ロラン将軍」には実在のモデルがあり、その実在の人物のことを知っていると、本作のストーリーに深みが出てくるので、敢えてここにこの将軍のことを記しておく。この、フランス第二帝政ルイ・ボナパルト時代以後に軍歴を重ねた将軍(軍籍の最後は少将)をブーランジェ(Boulanger)将軍という。
ブーランジェは、国防省歩兵担当部での改革を実行して、一定の人望を集めていたことから、1886年に共和国の国防大臣に迎えられる。翌年折しも独仏国境で起こった、フランス人警官がドイツ側にスパイで捕縛されるという事件では、対独強硬路線を取り、大衆に「復讐将軍」と熱狂的に迎えられる。同年の内閣交代ではその大衆的人気を恐れられて、地方軍団司令官に事実上左遷されるが、中央政局とも接触を保ち、「愛国者リーグ」の頭目として、とりわけ右派から擁立され、「憲法改正」を謳い文句にいくつかの国会補欠選挙に1888、89年に圧勝、ここにブーランジスム運動が最高潮を迎える。ここまでが、映画でのロラン将軍を巡る民衆の「熱狂」に絡む歴史的背景なのである。
こう見てくると、べリマン演じるところの公爵夫人は、その階層上のイデオロギーから考えて、政治的には王党派であろうと推察できるが、ルノワールはここら辺の問題は一切言及せずにストーリーを展開させる。この非政治性は何を意味するか。思うに、ルノワールにとっては、べリマンが体現する成熟した女性の芳醇な色香を陶然として満喫することの「表層性」にその眼目があったのではなかったかと。その意味で、自分の甥クロード・ルノワールがテクニカラーで撮る映像の絵巻物語は、さすがは著名な画家の子孫が制作したそれであるとしか思えない。その豪華絢爛たる色彩美に酔って欲しいと筆者はただ思う。