このレビューはネタバレを含みます
知り合いが唐突に、相米について、そしてこの映画について話しだしたので、なんだかんだで観れてなかったなぁ、と思いながらみた。大傑作。
「イメージ」について、考えている近頃だったからものすごくささってしまった。
「普通の女の子に戻りたい」と言って解散したキャンディーズのように、普通の女の子(わたし)に戻りたい、というヒロイン。やりたいことはアルバイト、行きたい先は長いこと行けていない学校。求められた「イメージ」に合わせていくように、作られていく(わたしとはかけ離れた)虚像……。禁じ手である「わたし」に戻ることは、彼女が「イメージ」と化していたから可能であったのだろうけれど。
終盤のステージ。
彼女の歌声が、喋り声とは違って妙に大人っぽい。それは、プレイバックなのだろうけど、そこにあるギャップにとてつもなく感激してしまう。「イメージ」の中のキャンペーンガールとしての彼女も、普通の女の子に戻った彼女も、一見同じ彼女だが、そこで楽しそうに踊る彼女は、死なずに「わたし」として生きていた場合の可能性(幻の姿)のようでもある。
でもわたしたちが、たしかに見た、あの姿に魅惑を覚えずにはいられない。
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『お引越し』の田畑智子のように、白い服を着ている。
相米映画にある上下(本作では、上界/下界、雨宮と雨宮の彼女の部屋etc)
動き。運動。
うつらなかった(透明になってしまった)写真を見て、動揺を隠しながら歩くのは、『セーラー服〜』の薬師丸ひろ子のようだったし、それをうまく慰めることなどできず、ともすれば暗いだけの場面で終わってしまうあのシーンを、陰踏み(?)をすることで、明るい場面にしてしまう魅惑。
新たなトロンボーンを買いに来る雨宮と、マウスピースを買いに来る少女(牧瀬里穂)。少女はキャンペーンガールではない、ごく普通の女の子のようでもあるが、それこそが彼女の憧れていた「わたし」なのかもしれない。