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フルメタル・ジャケットのhirokiのレビュー・感想・評価

フルメタル・ジャケット(1987年製作の映画)
4.0

キューブリック監督作品
時計仕掛けのオレンジに続き、
フルメタルジャケット。

ベトナム戦争に派遣される
アメリカ兵の、人間から兵器へと変わる様が描かれている作品。

2部構成になっており、前半と後半でテーマが違います。僕は特に前半のデブが戦争により、狂っていくストーリーが1番印象的。

ここで、フルメタルジャケットの意味とは?

【フルメタルジャケット弾(full metal jacket / 被覆鋼弾、完全被甲弾)】

 →貫通性が高い通常の弾丸。

フルメタルジャケットとは戦場で使用している通常の銃弾そのもの。

以下引用。

 映画では冒頭の散髪のシークエンスから、ラストの炎をバックにして行軍するシークエンスまで、徹頭徹尾人間を物としか扱っていないかのような空々しさが漂う。戦場では思想も、哲学も、理想も、絶望も、夢も、未来も、感情も、自由も、真実も、虚構も、そんな人間性を伴うもの全てがまるで悪い冗談にように虚しく通り過ぎてゆくだけだ。唯一の現実はただひたすら銃弾によって殺し合う事。銃弾は一度放たれたら最後、嘘や冗談も言わずただ粛々と命を奪ってゆくだけ。すなわち戦場では銃弾=真理なのだ。冗談を言わない銃弾。冗談を言う人間(ジョーカー)に真理は無い。だから戦場で真理となるには銃弾になる必要があるのだ。

 だが、物語中唯一銃弾にならなかった(なれなかった)人間がいる。そう、レナード(パイル)だ。実はレナードこそ人間なのだ。人としての感情に富み、正直さ、弱さ、優しさに溢れている。劇中唯一本名を与えられていた事からもわかるように、レナードこそ人の良心、人間性そのものと言って良い。

 だから狂った。人間だから、良心があるから狂った。でもそれは戦場では何の役にも立たない不良品。良心を持った銃弾など戦場では使えない。それは当然のように排除の対象となる。キューブリックは劇中唯一このシークエンスだけにタイトルを台詞に載せている。「フル・・・メタル・・・ジャケット」と呪いのように呟き、自ら銃口を口に銜えるその姿は、人間のままでいたいともがくレナードの最後の抵抗なのだ。そして銃弾が脳天にめり込んだ瞬間、レナードは銃弾になることなく人間のまま死んだ。

 それ以降、人間は誰一人として登場しない。登場するのは人間の形をした銃弾だ。あの可哀想に見えるベトコン少女でさえもそれは例外ではない。少女は知っていた。銃弾になってしまった自分を救えるのは銃弾でしかないことを。ジョーカーも気づいていた。銃弾である自分が、少女が銃弾であり続けることを終わらせられる唯一の存在であることを。それが「血みどろの親密さの共有」。少女は撃ち殺して欲しいと望んだ。レナードと同じように。そして銃弾が体内にめり込んだ瞬間、少女は銃弾から人間へ還り、死んだ。

 これがフルメタルジャケット。それはかつて人間だった単なる消耗品。フルメタルジャケット。それはいっさい嘘や冗談を言わない戦争の真理。『フルメタル・ジャケット』・・・これがキューブリックが描いた戦争の本当の姿。

すげーーーー。
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