モロッコ人、アメリカ人、メキシコ人、日本人。1つの線で繋がっていた物語はイニャリトゥ独自の手法で各パートにバラバラに分かれて進んでいく。ただ、単なるクロスカッテングではなく、時間軸が微妙にずらされて作られている。
だが、それが本作に限っては効果的に働いていない感がある。例えば、バスが銃撃される、その容疑者が逮捕される、などという結果が他のパートで予め間接的に(テレビや電話やラジオといったコミュニケーション機器を通して伝えられるのが、本作のテーマを暗示している。)示された後で、そのパートで実際に再現されるという流れであり、どうもスムーズに物語が進んでいかない。各パートの話の切り上げ方も、これから盛り上がるという所で他パートに移るため、物語に緩急がなく、淡々と進んでいく。
また、各パートで一貫したテーマ性が感じられないため(強いて言うなら“つながり”)、ストーリー以外のまとまりがないのである。伏線は上手く張られているのに、それを生かしきれていない。
ただ、1つ1つの物語は非常に魅力的だ。モロッコパートの悲劇性、メキシコパートの人間愛、そして何といっても日本パートが素晴らしい。耳が聞こえないというだけで、同じ日本人なのに外国人のように見られるサエコ。(菊池凛子の素晴らしさ!)他者と手話や筆記を通してしかコミュニケーションが取れないもどかしさや苛立ち。誰かと直接コミュニケーションを取りたい。繋がっていたい。その強すぎる思いが逆に相手を遠ざけてしまう。刑事に全裸を見せる姿が痛々しい。自分を覆い隠す衣服も脱ぎ捨て、ありのままの自分を受け止めてほしい。精神的にも肉体的にも繋がっていたい。そんな感情が身体から湧き上がっていく様。それは、直接的な人間的なかかわりを失ってしまった現代人にも共通する思いだろう。胸が締め付けられる。このように各パートは非常に魅力的なだけに、惜しい仕上がりだ。