HiroshiTakagi

あの子を探してのHiroshiTakagiのネタバレレビュー・内容・結末

あの子を探して(1999年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

『初恋のきた道』と同年のこの作品をまだ観ていなかった。チャン・イーモウ監督の映画は、映画でしかできない手法で表現された、とても映画らしい映画である、と言える。この作品も冒頭から特に強く目をひく事物やショッキングな展開はないのに、画面から目が離せない。風景や室内を撮るカメラがとても美しい。登場人物への自然な感情移入とかれらを客観視している自分の立ち位置がすんなりと受け入れられる。家でチャン・イーモウの映画をいくつか観ていると、途中から画面をのぞいた奥さんが見入ってしまう、ということが何度かあったのも面白い。

一言でいうと「リアル」なのだろうが、何度も見返してその映画手法を分析したくなったりもする。

それはさておき。この映画の魅力の中心はやはり、田舎の小学校のやんちゃな子どもたちと中学校も出ていないのにいきなり一ヶ月の代用教員にされてしまったウェイ先生(魏老師)の学校生活だろう。感動の師弟愛系のドラマはしょっぱなからあっさり否定され、先生も生徒も金銭感覚的現実感満載の生活を隠そうともしない。ウェイ先生が革命的中国な歌をふりをつけて教えるシーンでは、こどもたちが無邪気に真似をするところがとてもかわいいが、歌を途中で忘れてしまい、自分で適当な歌をでっち上げ、こどもに歌わせるウェイ先生のええかげんさもかわいい。

出稼ぎで都会に行ってしまったいたずら坊主のホエクー(慧科)を探しに行くのにバスでいくらかかるのか、そのお金を稼ぐのにどれだけレンガ運びをすればいいのか、教室のみんなでぎゃあぎゃあいいながら、生徒一人一人が黒板に計算式を書いて考え、算数がどうも苦手なウェイ先生が、いつの間にかかなり上質な授業を作ってしまう、という過程も楽しい。せっかく稼いだお金でコカ・コーラを買ってしまうところも子供らしくていい。

だが、この映画で驚かされるのは、ウェイ先生がなんとか都会へ出て来たところから描写される中国の実態である。農村と都会とのひどいとしかいいようのない所得格差・生活格差。ボコボコで傷だらけの黒板とボロボロの教室しかなく、チョークを一日一本しか使えないほどお金がない農村と、大衆食堂のSONYトリニトロンテレビの画面で美人キャスターの報道番組を見る都会が同じ時代に共存している。話には聞いていたが、中国国内のこの格差は映像で見ると衝撃的だ。子どもたちが買った、中国のコカ・コーラの値段をネットで調べてみると、この映画の時代背景は公開された1999年当時の中国そのままのようだ。今はどうなのだろう。

ご都合主義的ハッピーエンドは私はあまり好みではないが、ラストの教室のシーンは、きっとだれもが好きになるだろう。