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あの子を探しての1950720のネタバレレビュー・内容・結末

あの子を探して(1999年製作の映画)
3.1

このレビューはネタバレを含みます

1999年のチャン・イーモウ作品。

あの素人の子供達からあんな演技を引きだせるとは。プロに対しても台本をその日分のペラ1枚しか渡さないのが普通の中国映画だからこそだろうか。素人を使った映画というのは世界中で作られているが、自分の観る範囲では中国映画が多い印象がありクォリティも高く、何かノウハウでもあるのかと思うほど。

同じ中国のリー・ルイジン監督『ぼくたちの家に帰ろう』も主役の子供が2人とも素人で、監督は彼等と共同生活をしてカメラに慣れさせ自然な演技が出来るよう時間をかけたと読んだ。

本作については「あの子を探してができるまで」というメイキングが別に発売されているので、それを観ると分るのかもしれない。

山奥の僻地にあるボロボロの小学校に、中学も出ていない13歳の少女ミンジが1か月の代用教員として赴任してくる。そんな子供しかこの地では教師のなり手がないと嘆く村長と自分だって何カ月も給料が出ていないと話す教師。

いかにもしぶしぶお金の為にという態度の彼女が、期限中に生徒が減らなかったらボーナスをもらえると言う条件の為に出稼ぎに出た子供ホエクーを都会に捜しに行く。小学3年生の子供が家の為に出稼ぎに行くという貧しさ。世界中に蔓延する経済格差のスパイラル構造がひと目でわかるエピソードである。そこに組み込まれた子供達に突きつけられる過酷さは、駅で見失った工員の女の子との金をめぐるやりとりにも見てとれる。

一方で、街へのバス賃を稼ぐのに何個のレンガを何時間運べばよいかを計算する授業の様子は本来の教育の在り方を、いじめっ子で充分嫌われていただろう男子を連れ戻すことに疑問も迷いもないクラスメイトの行動は我々が子供に望む純粋さが込められていた。

代用教員といえどもミンジもたった13歳。日本の中学なら1,2年生である。授業もまともに出来ないし、街に行くお金を最初生徒に無理矢理出させたり勝手にレンガを運ぶ辺りは13歳の子供でしかない。「先生」と思えば腹立たしいが、そんな「子供」しか成り手がない現実を受け止めるしかなかった。

街に出ても思い付く方法は拙く、そこで出会った人達は決してやさしくはない。それでも彼女はホエクーをみつけることを諦めない、そのたくましさには感動を覚えるほど。この映画の一番の見どころは、ホエクーを捜すことによって13歳の少女が成長してゆく過程にある。

黒板に書いた子供達とそしてホエクーの3文字に託したラストシーンが素晴らしい。わずか13歳の少女が本当の「老師(先生)」に近づいたことを子供たちの笑顔が祝福していることに胸が熱くなった。

国や政治、文化風習を問わず社会にある問題を描いた作品は枚挙にいとまがない。もちろん悲劇を悲劇のまま苦しみを苦しみのまま描くいわゆる社会派ドラマも数多くあるが、こうして観賞後に暖かいものを残すものとして完成させたチャン・イーモウの手腕はヴェネツィア国際映画祭金獅子賞にふさわしいと思う。
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