チーズマン

(500)日のサマーのチーズマンのレビュー・感想・評価

(500)日のサマー(2009年製作の映画)
4.2
公開当時劇場で楽しく観ましたけど、それ以来ぶりに鑑賞しました。

こんなに良い映画でしたっけ。

映画のルックは楽しげな感じのくっついた離れたの単なるラブストーリーに見えて、実はそれよりもっと踏み込んだものを描いていましたね。

理想の相手と、理想の関係って必ずしもイコールではないですから、別の話ですからね。

公開当時は気にも止めませんでしたがそもそも冒頭に「これはラブストーリーじゃない」と字幕でわざわざ宣言してるじゃないですか。今更気付きましたけど。笑

恋愛関係という家族や友情とはまた違うコミュニケーションというか繋がりの形で、家族や友情よりはるかに脆いし、些細なことで壊れることもあるし、それゆえ続かないことも多かったりすると思いますが、しかし恋愛という関係性でしか育まれない何かがあるのです。

そもそも家族は生まれ育った家庭という価値観の土台があるし、友情関係の場合は不思議と価値観が違ったまま付きあっていける(それはそれで貴重)し、しかし恋愛関係はお互いに価値観をすり合わせないことには関係は保てないですよね。

なぜなら相手は圧倒的に他者ですからね。

気が合おうが趣味が合おうが当然いつかは価値観がぶつかるわけで、良い恋愛関係を続けようと思えばお互いに価値観を擦り合わせていくしかないんですが、それぞれが置かれた状況やタイミングによっては極端に双方のバランスが悪かったりして破綻してしまうこともあります。
しかし、それでも大切な他者に価値観を擦り合わせてきた柔軟さがまた次の恋愛に活かされ〜…やがて程良いバランスで価値観を擦り合わせて保てる相手に落ち着いて。

というのはまあ理想的なパターンで、全然ダメダメで空振りばっかってことも実際は多いと思います。
惜しまぬ労力を注いできたのに、いつまで経っても報われないままってこともあると思います。

そんな恋愛というとても不合理なものを、それでも人々が求め、人間にとって大事な要素の一つとして様々なコンテンツで描かれるのはそこのみでしか成長することの出来ない内面というのがあるからです、それは恋愛をする相手がいなければ不可能です。

この映画の主人公のトムはまさにそうでした。
この主人公の恋愛は残念なことに終わってしまったけれど、その中で価値観が変わった事で彼自身の硬直していた人生が前に進みました。
そしてそれはサマーも実は同じなのです。


恋愛をする意味をあえて上げるならばそうことだと思います。

まあこの作品は恋愛と成長の理想的な面をキャッチーに描いている類のやつなので、もっと沼のような不合理極まりない恋愛の世界が覗きたい人には甘ったるいかもしれません。


不思議なもので、家族や友人との関係では変わらなかった凝り固まった価値観が、いざ好きな人の為なら意外とあっさり変えれてしまったという事って恋愛経験がある人なら多少なりとも分かるかと思います。

なんでもかんでも自分の価値観を変えるのが良いなんて事はもちろん言いませんが、凝り固まった価値観を他者の為に変える事ができた経験が一度でもあるがどうかって人生にとって割と大事な気がします。
あとそこで培った柔軟さはその人の何か“余裕”としても現れてきますよね。


恋愛ってコスパが悪い?当たり前です、自己完結できないんですから、だからこそ価値があるんです。
チーズマン

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