昨日観た『アカルイミライ』のメイキングがあったので観てみました。撮影現場に密着し、黒沢清監督が作品への思いを語っています。
『アカルイミライ』は人間の曖昧さを描いた作品。もともと人間は曖昧で、他人を理解しようと思うからわからなくなると監督は言います。
オダギリジョー自身も雄二という役が最後までわからなかったのだとか。
肉体としての葛藤はいいけど、心と心が葛藤する人間ドラマが苦手だと監督は言う。
監督がスタッフにも俳優にも、人との距離を縮めないことに好感が持てました。
そして、編集作業は1人で独裁者のように行い、編集時に自らの狂気の部分を出していくそう。
ベタついた人間関係が苦手だから、人間ドラマが苦手なのかな。
オダギリジョーの自然体な表情を観ているだけでも幸せでしたが、藤竜也のダダ漏れする大人の男の色気に痺れました。
『アカルイミライ』の衣装はかなり攻めたファッションでしたが、スタイリストの北村道子さんの考え方やパワーに圧倒されました。『メゾン・ド・ヒミコ』も彼女が担当とのことで納得!
監督が言う。映画とは、みんなで映画を観ながら、自分がみんなと一体化しているのか、孤独なのかを知る場なんだと。面白い考え方です。
📌追記
不特定多数の他人と見ることが映画。映画館という場が常に問いかけてくることは「世界の中で、あなたはいったい何者なのか?」ということなのではないでしょうか。と、著書に書いてありました。