めよ

奇跡の海のめよのネタバレレビュー・内容・結末

奇跡の海(1996年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

誰かの為に生きる人はいつだって美しい。どんなに汚れようと、どんなに傷だらけになろうとも。


閉鎖的な町で育った主人公は、信じるものが教会や親しかなく、けれどもそれに対しても一切疑問を抱かず、無垢で、純粋で、どこまでもキラキラとした眼差しをしてみせる。その反面、精神的にとても脆く、夫が出稼ぎに出発する瞬間まで駄々をこね、子供のように泣きじゃくる。
依存、と言われてしまえばそれまでだけど、一言では片付けられない夫の愛、そして主人公の信念がある。これは、愛や信仰の形を問う作品なのだろう。
あやふやな存在のそれらは、あやふやな存在ゆえに定義したがる人間がたくさんいる。確かに側から見れば主人公夫婦は異端であり、病的でもあるのだろう。
主人公は信仰を重んじているが、主人公はあくまで自分のなかの神を信じていた。牧師の説教の最中、ボロボロになったその身体でやって来て「言葉なんて愛せないわ。言葉とは愛し合うことはできない。愛し合えるのは人間だけよ」そう言い放ったシーンはザクリときた。


愛するものに捧げたその身が穢れようと、信じたものから虐げられようと、死の淵を彷徨おうとも、それでも主人公の瞳が濁らないのは、世界にたった一人の愛する夫ーーこの人のためなら。その信念のみが、力尽きたはずの彼女を動かしていたから。
依存という言葉をとっくに超え、ただなぞっているだけの愛や信仰さえも追い越して、主人公夫婦はその曖昧な存在を確かめ合う。
他人には到底理解し得ない形がそこにはある。
めよ

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