YokoGoto

魚と寝る女のYokoGotoのレビュー・感想・評価

魚と寝る女(2000年製作の映画)
3.3
ーシリーズ 恐る恐るキム・ギドクを見ようー

キム・ギドク監督作品を始めて観たのは、「うつせみ」。なんとも言えない雰囲気に、目を奪われて、それから、合計9作品鑑賞した。

キム・ギドク作品は、どれもこれも、抽象的なメタファーで構成されていて、セリフの少ない作品が多く、見る人を選ぶ強烈な作家性を持つ。
本作は、公開時に、気分が悪くなって席を立つ人がいたと言われる評判の作品だったため、見るのをためらっていた。

最近、Netflixでは、キム・ギドク作品も沢山配信されるようになったので、改めて本作を鑑賞。

一言でいうならば、本当に奇妙な作品。
湖に浮かぶ釣り宿が舞台なのだが、霧の立ち込める湖面は実に幻想的で、アート作品とも言える。

しかしながら、そこで展開される人間模様は、実に肉肉しく残酷で、お世辞でも上品であるとは言えない。生々しい女の身勝手な愛と、それを素手で鷲掴みにするような男との関係は、女性からみても嫌悪感を感じてしまう。

気持ちが悪いのだ。

しかしながら、それでも、画面を凝視してしまう。まるで麻薬のようなキム・ギドクの作風は、理屈ではなく、本能を掻き乱す作品であることは言うまでもない。

そして、本作のキモは魚。
湖と釣り人、そして釣り上げられる魚達は、全て物語のメタファーに使われている。

釣り上げられる魚も、キャッチアンドリリースされる魚も、刺身に調理される魚も、無残に切り刻まれる魚も。

濁った湖の中で、息を潜めて生きている魚を身勝手に扱う人間の残酷さは、人間の身勝手な愛にシンクロしていくようだった。

気持ちが悪いけど、何故か否定できない。観ている人をあざ笑うかのように、強烈な描写は最後まで続く。

果たして、本作のテーマはなんだったのか?と振り返ってみる。いつもキム・ギドクが描くのは、歪んで見える愛の本質ではあるが、本作もそうなのであろう。

見た目では、全然正しくないし、共感もできないのだが、何故か『否定できない愛』だったりする。

果たしてこの愛はどんな愛なのか。
見る人が個々に奥深く考えられたし。

私が個人的に考えたのは、女の愛は純愛にも見えるが、ただの支配欲にも見えるということ。彼女が愛した理由など何もないけれど、ただ失いたくなかった男。悲しくも切ない、彼女の欲だったのかもしれないと思った。

結果、飾ることのない、人間の本質を味付けせずにむき出しでみせられ、やはり、どこか否定できない余韻を残した。

キム・ギドク作品はいつも、痛くて気持ち悪いのだか、強烈に人を引きつけるものがある。

やはり、本作もそうであった。
YokoGoto

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