星降る夜にあの場所で

戯夢人生の星降る夜にあの場所でのネタバレレビュー・内容・結末

戯夢人生(1993年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

何となく観たくなって再鑑賞。
以下、いつも以上にほぼ作品とは関係ない駄文になっています。
さわりを読んで興味がない方はスルーする事を強く推奨します。

かつて銀座に「らどんな」というお店があった。
30年前とある縁で、バーテンダーさんの助手(助手すら務まっていなかった気がするが)を半年間という期間限定の条件を快く受けて頂き、御世話になったことがある。

瀬尾春さんというおばあさんがママをしていたのですが、銀座では知る人ぞ知る伝説のママさんで「銀座のお春」「上海のお春」という異名があった。
1949年に発売された『銀座のカンカン娘』のモデルになったとも言われています。

ある金曜日の帰り際、お春ママに
『坊や(坊やと呼ばれていた私(笑))、明日は何か予定入ってるかしら?』
『別に何もありません』
『じゃあ、明日お買い物にお付き合いして頂ける?』
『はい、分かりました。』
『今夜は私の家にお泊まりなさいな。』
ということで、お抱えのハイヤーで用賀の御自宅に初めてお邪魔した。
とんでもない豪邸にお手伝いさんと二人で暮らしていて、私は20畳位の部屋に布団を敷いて頂いた。
いつ何が出てきてもおかしくないような夜だった。

お買い物は銀座。
老舗店を10件以上回っただろうか。
しかし、ろくに買い物などはしない。
お春ママが店に入ると従業員が一斉にお辞儀をし、店長さんを呼びにいく。
『皆さんで召し上がって。今度私の店で働くことになった坊やなの。宜しくね♪』
と予め用意してあった差し入れ(私が持たされていた)を渡して次の店へ。
どうやら、銀座の重鎮たちに私を紹介することが目的だったらしい。
以後、私はお店を辞めた後もこの町で様々な恩恵を受けることになる。

その日、ママは上海にいた頃のことやお店を始めた頃のことなど沢山の話をしてくださった。
今まで男性アルバイトなど雇った事はなかったらしいが、ママも錚々たる顔ぶれのお客さんたち(アラン・ドロンには固まった)も、とても私を可愛がってくれた。

激動の昭和を生きてきた1人の女性の話は、余りにもドラマチックだった(興味のある方は「銀座らどんな物語」という書籍が発売されています。中古になりますがAmazon等で購入可能なそうです。)。
それが本作の語り部である李天祿さんと被ってしまい、こんな文章をダラダラと書いてしまった。

「らどんな」を去った日が30年前の今日だった。
李天祿さんの生涯も、お春ママの生涯も知らない人の方が圧倒的に多いだろう。
ただ、知ってしまうとこの二人の人生に魅了されて胸が熱くなってしまうことでしょう。
しかし何も二人が特別というわけではなく、私たちが知らないだけで、身近に接しているお年寄りの方々も例外なくドラマチックな人生を送られてきたことも忘れないでいたい。
そしていずれ私たちも…

紅白が終わってからカラオケに行くことになった。
今夜は、お春ママがよく流しのギターをバックに歌っていた、「上海帰りのリル」「東京の花売娘」「誰よりも君を愛す」でも歌ってみようか☆彡