あんじょーら

灼熱の魂のあんじょーらのネタバレレビュー・内容・結末

灼熱の魂(2010年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

カナダに住むジャンヌとシモンは2卵生双生児、母親であるナワルの遺言書を弁護士でナワルの仕事場でもあるルベルの所で開封することになります。しかし、この遺言書には恐るべき謎をもって書かれており、まず姉であり大学で数学を教えているジャンヌには父親を探し遺言書に同封した手紙を渡すように訴え、弟であるシモンには兄を探し母からの手紙を渡せ、と伝えます。そしてその遺言が成し遂げられた時、墓石に名前を、墓碑銘を掲げることを許す、という内容でした。ジャンヌとシモンは父親が生きていることも、まして兄がいることすら知らないで育ったので驚きを隠せず、特に弟であるシモンは理解できずに母の故郷を訪ねることを保留するのですが、姉であるジャンヌは母の故郷である中東の国(名前が不明)を尋ねるのですが・・・というのが冒頭です。



映像は極めて抑え目に、そして伏線の見せ方も抑揚が効いていて素晴らしく、なにより脚本が練られているうえにとてもミステリアスなために続きが気になるというフックは強力です。謎が謎を呼び、しかも子供たちが母親の過去を辿ることで見えてくる壮絶な事実が、いやがおうにもへヴィにさせます。現実の世界の出来事を下地にしているフィクションですから、とても重いものなのですが、そのこともさるものながら、母親のあまりに数奇な運命を考えさせられると、確かにタイトルにふさわしい映画であると思います。



非常によく練りあがった、映画としても映像美に優れた作品、納得の出来栄えです。



が、私は結構気になる部分もあり、諸手を挙げて評価する気にはなれませんでした。その部分はネタバレを含みますので、中東問題、親子問題、愛情問題に興味のある方にオススメ致します。




アテンション・プリーズ!


もう既に観賞され、結末を知っている方は構いませんが、出来れば観賞後に読んでいただけたら幸いです。ネタバレはこの映画の場合致命的ですので。








































で、このストーリィは、主人公であり、運命に翻弄される人、というより女性であるナワル・マルワンに焦点を当てて描かれています。ので、確かに凄いよ、壮絶だよ!でもフィクションであるからの『運命』だっていう感じ(あまりに翻弄されすぎるからこそ!)が強すぎる。そして偶然が強すぎる。あくまでナワル・マルワンにストーリィが収斂し過ぎる、と感じてしまいました。といってもこの某中東の国の、宗教的対立の根深さは恐ろしく深いものであるという部分は、齧る程度には理解しましたし、私の想像以上に複雑で、絡み合って、皮膚感覚的に、感情的に、憎しみが連鎖して積み重なっているのだということだとしても、です。近い感覚の映画で思い出したのが「ブラックブック」ポール・バーホーベン監督作品です。こちらはナチスを扱ったスパイものではありますが、誠に触れ幅が大きく主人公エリスにストーリィが収斂する様も重なるような気がします。



私が気になった偶然すぎる『運命(という名の 脚本 と言いたくなる)』は2つ、プールで出会ってしまう(だってここはカナダ)と、すべてを理解し放心状態とはいえ手紙をルベルに書かせるほどには(直接は名前を出さなかったのですが、ルベルは手紙の内容を知っていることになるのですよね!う~ん・・・)意識はあったのが亡くなってしまうまでに衰弱してしまったという点です。



そう、プールでの出会い→死亡の間でのみ、彼女の遺言が書ける時間が存在しないのに(1+1=1である事実をそれ以前は知らない)、衰弱し、亡くなってしまうまでの間が短すぎる。そして、どうしても納得できないのが、最初の子供であり、双子の兄であるニハドと拷問人アブ・タレクに相反する想いを抱きながらも、愛している、とする部分です。もちろん理路整然としないのが感情であり、矛盾しているからこその人間的な部分もありましょう。が、ここで、ナワルは事実を初めて知って放心状態に陥っているのであってその後衰弱して死んでしまうという衝撃を持って受け止めているのに、その後亡くなってしまうほどのショックであるのに、愛情を抱く、という部分がどうしても理解し難かったです。確かにショックでしょうけれど、手紙を託す、しかも託すということは双子と兄は事実を知る、ということになるので、ジャンヌにもシモンにもニハドにも衝撃的すぎる衝撃を与えることを託すことの動機が浮かばなかったです。ナワルは2通の手紙の行き先を知っているのですから。もし、本当に愛情を感じているのであれば、回復し、自らの言葉で、行動で、ジャンヌとシモン、そしてニハドに言葉をかけるのが普通なのではないでしょうか?何故わざわざ手紙にしたのでしょうか?都合よく舞台から退場してしまい、その原因こそ『事実を知った衝撃』であるのにそのことを『愛情』と表現するのであるならば、ショックから立ち直れるのではないか?と考えてしまうのです。そしてもしショックが原因であるならば手紙を書かせるという作業時間が無いのではないか?と思うのです。



ナワルに感情移入していれば何の疑問も無いのかも知れませんが。私は男なので永遠に理解出来ないのかも知れない、あまりに深い河を確認するに至ってしまいました。う~ん、良い映画なんですが、何か釈然としないのです。この釈然としない感は映画「風と共に去りぬ」の観賞後感と似ている気がします。「風と共に去りぬ」も名作と言われていますが、私には何処が名作なのか全然分からないです・・・何となくナルシスティックになり過ぎているきらいがあると感じてしまったのです。



何か違った解釈があるのでしょうか?私の映画の見方は何処か間違っているのでしょうか?・・・という不安も感じなくも無いのですが。