冒頭、屋敷を相続した看護人の女が螺旋階段を上がっていくショット。一瞬何かが分からない細長い螺旋階段の異様な映し方に目を見張っていると、角度を変えた俯瞰ショットの中で、女が螺旋階段を上りきったと思えば、同じカットの中で即座に首吊り死体と化す。ホラー映画において人を捻れた運命の中に捕える装置としての螺旋階段。その映し方が魅力的なだけでも期待が高まる。全体的にも、影と鏡を駆使して屋敷のゴージャスな外観・内装を映し出す画が高品質だった。
事が起こるまでの序盤のテンポの鈍さは否めないが、第一の怪異からしっかり盛り上がり、終盤には評判どおり光るものがあった。ロバート・ワイズって節操なく色々なジャンルに手を出してもしっかり仕上げちゃうんだから凄いね。一発目の怪異、霊としてはかなり豪快なノックの繰り返しとドアへの急速なズーム。女の台詞によってドアの上のガラス窓に注意が集中した後、ガラス越しに室内を覗き込んでいるかのような俯瞰の「主観ショット」が差し込まれるのが良いね。
主人公が、看護人の女が首吊り自殺をした塔の上を見つめると、切り返しショットが上空から恐ろしい速度で迫ってくる。霊的存在に主観ショットを許すか否かというのは、ホラー映画における一つの選択なのだが、『たたり』においては、カメラは時に霊の側に立つという決断がされており、本作では良い効果を出しているのではないか。
年嵩で、感情をコントロールできずに喚き散らし、内的な声が異様に多いヒロインが全く魅力的でないのは本作の一つの特色だろう。主役四名の会話も常に不協和音が鳴り響いている。直感の鋭いセオに「お母さんを殺したのは私じゃないわ」と言われた際の激しい反応で、やはり何かを隠し持っている信頼できない主人公であることが明確になる。そして、翌朝の博士との会話で、苦しむ老女を無視して死なせるという、屋敷に滞留する罪の記憶と同型の過去を持つ女として、ヒロインが屋敷に呼ばれたのだということが明らかになってくる。
終盤、三人が眠る深い闇に満たされた室内を流麗にカメラが動き、画面奥のドアが静かに開いてラス・タンブリンが入ってくる魅力的なショットから怒涛の展開が始まる。再度襲いかかる強烈なノックと同時に、ドアの中央が膨れあがろうとしているような描写が披露され、外部からの侵入者というよりも、ドア自体が呻き声を出しながら身を捩っているようにも見えてくる。
この部屋を出た後のヒロインを捉えたショット連鎖がキレキレで素晴らしかった。怪奇のムードに満たされていながら、同時にヒロインの精神が崩壊していくに過ぎないようにも映る絶妙なバランスが実現されている。画面奥からヒロインが走ってきたと思えば、少しカメラが引いて、ヒロインが激突する鏡を撮っていたことが分かり、家に押しつぶされようとしているのか、単にカメラが(ヒロインの心が)グラグラと揺れているだけなのかというショットに繋がる。白いカーテンに自らくるまって狂乱するヒロイン。彼女が写った鏡が激しく揺れ動き落下する。
終盤に再登場する螺旋階段がまた良かったな。古くはヒッチコック『めまい』やバーヴァ『呪いの館』、近作では『ライトハウス』や髙橋洋の『ザ・ミソジニー』等、映画において魅力的なアイテムであり続けてきた螺旋階段だが、本作のそれは、今まで見てきた中でもかなりのものだ。
俯瞰ショットの中で、くるくると回転しながら一人踊るヒロインと螺旋階段の性質が同期してしまう。一足先に回りながら階段を上っていくカメラ。そうであれば、呼び止められても彼女の足が止まることはない。自らの影と共に不安定に揺れる螺旋階段という魅力的な装置。それを上りきった時に何が起きてしまうのか、運命の瞬間であることは疑いがない。本作では、ヒロインは(妄想の中での)三角関係の敵と目が合ってしまう。跳上げ戸という物理的空間の説明は一応なされるものの、これは、強い情念を媒介にして異空間に飛んだ二人の接触と表現した方が適切な異様な代物だった。
ラストシーン、情緒的な繋がりなどなかったはずの者たちが別れを惜しみ合い、私とあなたで博士の奥さんを殺したのねなどと愉しげに呟きながら石膏像の周囲を回転していたはずのヒロインは、身代わりになった奥さんに申し訳ないなどと宣う。全てが薄ら寒い奇妙な時間の中で、やはりヒロインの乗った自動車が発進する。内面の声に耳を傾け過ぎたヒロインは、当初から多義的な人物ではあったのだが、ここで、恐れているのか、あるいは求めているのか、致命的に分裂してしまったようだ。木に近づいていく自動車を眺める時、観客は、冒頭に提示された約束された運命のイメージを思い出している。