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処女の泉のメガさわのレビュー・感想・評価

処女の泉(1960年製作の映画)
3.5
わたしはキリスト教徒ではないし、知識も全然無いから完全には読み取れなかったが、ざっくり、神の沈黙にうろたえる人間達の姿を描いた作品だった。1960年代に、この作品を作ったというのは衝撃的。その時代に生きていて、キリスト教徒で、映画館でこれを観たら、正直びっくりすると思う。

この作品に出てくる村は、基本はキリスト教だけど土着の宗教も混ざっているのかも。オーディンを模した人形を祀るなど…?(勉強不足!)カーリンの母はすごく熱心な教徒なだけに、その後に起こることが、ますます残酷に映る。祈りとは何なのか…。なぜあのような仕打ちを受けなければならないのか…。この物語の中で、神は残酷で、無慈悲である。何もしてくれない。救いようのない話だった…と思いきや、ラストを見る限り、あれっ?やっぱり神様は何かしてくれるっていうことなの?というどんでん返し。時に無慈悲で、時に応えてくれる、そんな気まぐれな神様の前で人間たちはどう生きているのか…。どう向き合って、何をして生きているのか…というのを描き、考えさせる映画なのかもしれない。私には全く理解できない感覚だ…。

だけど、この映画で描かれる神というのを、私にとっての「絶対的なもの」(たとえば恋人とか家族とか、大切にしている考え方とか?)に置き換えながらもう一度観てみたら、なにか変わるだろうか?「絶対的なもの」を信じ続け、何かを犠牲にしたり、行動を変えたりしたのに、報われなかったとしたら?…それでも、「絶対的なもの」にすがって生きて行くしか道がないのかも。信じるっていうのは辛いのだよ…。そういう映画にも観て取れる…かも。

みんなでカーリンの亡骸を探しに行くシーンは、まるで中世の宗教画のようだと思った。支え合い、悲しみをぶつけあい、ジタバタもがきながら列になって川をわたっていく構図には見覚えがあり、鳥肌が立ってしまった。(あそこは、めちゃくちゃ拘って撮影している気がする…!)いつの時代でも、人間は信じるものに振り回され続けるが、それでも何かを信じ続けないと生きて行けないのかなぁ。
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