処女の泉の作品情報・感想・評価

『処女の泉』に投稿された感想・評価

春の訪れに理由はない。

16世紀、敬虔なキリスト教徒である地方豪族の一家。
愛娘のカーリンは、身重の使用人インゲリを連れ、奉納のため教会へ向かう。道中の森で貧しい三兄弟と出会ったカーリンは食事を振る舞うが、男達が彼女に牙を剥く。やがてそれを知った父親は…

『第七の封印』や『魔術師』といった過去作に通底する(そしてこの後も続いていく)、「神の沈黙」というベルイマンのライフテーマが前面に押し出された作品。深く底の見えない問いを扱いながらもどこか人生の喜劇的な側面を忘れなかった過去の諸作と比べ、痛ましいという他ない事件が起こり、よりシリアスなトーンが貫かれる。

しかし画面はただ重苦しいだけに終わらず、時に息を呑むほど豊かで詩的な陰影表現をもって応えている。人の表情を物凄く塗り分ける室内の明暗、俗世の悲喜劇など素知らぬ顔で森に芽吹く水ぬるむ季節の喜びを、千の色彩を越えて描き出す魔法。まずはこれだけでお釣りが来る。
隣で一緒に観ている人がいたら、数分ごとに停止しては「…見た?今の…」とか言ってしまいそうだ。幸い独り三角座りで観たので、そんな事態にはならなかった(これは涙ではない)

カーリンに降りかかる悲劇、その後に父親がとる蛮行。
いずれにも神は沈黙を守り、父親はそれを糾弾してくずおれる。母親や、同行しながらも悲劇を止められなかったインゲリも自らを責める。そして、最後に起こるささやかな「奇跡」…。

このラストは未ださまざまな解釈を許すと思うけれど、わたしはやはり強烈なアイロニーを感じるところだ。なぜなら、ようやく奇跡(らしきもの)が起こるのは、絶望を見せた父親がそれでも信仰を糧に膝を立て直し、「ここに高級な教会を建てる」と誓った「後」だからだ(序盤の召使いたちの会話が伏線として効いている)。
宗教には人生の理不尽や不幸の受け皿として機能する側面があって、カーリンの喪失を転嫁する母親やインゲリの思考もまたその一つだろう。突然の信じ難い事実に直面するより、自責に理由を求め、犠牲者を神聖化した方が楽になれることもあるからだ。

しかし、カーリンは可憐で純粋であると同時に世間知らずで、愚かでもあった。また、両親ほど信仰への献身性を持っていたようでもない。
このような宗教がもつ「偏り」を突き、居るとしたら果たしてどれほど残酷な神か、むしろ居ないほうがマシではないのか…と語りかけているような気がしてならない。

劇中では、現世に縛られた人の人生を、室内に留まり震える煙になぞらえて語られる場面がある。
上へ立ち上る煙と対比して思い出されるのは、下へと自由に流れる森の清流。限られた室内から救い出すのが神だというが、そもそも天井という枠(限界)を設定したのも神ではないのか。

いま、わたしたちが神なるものを信じていようと、神以外の何か(金や仕事、家族の中で果たす役割でも)を信じていようと、それが果たして真に幸福に根ざすものであるか…をいま一度考えさせる鋭さがあった。
ガンプ

ガンプの感想・評価

4.0

各種の内容と表現については、聖書と北欧神話の教養が必要。

しかし、「白黒映画の光と影の美」「間」「演技」については、その表現のみにしても良質である。
あー

あーの感想・評価

2.3
純粋な心はときには持つべきじゃない。
気をつけてないと。
相手の見せかけの好意に惑わされずに。

弟君が一番可哀想かな。
内容が薄く感じた。予備知識が必要なものだったのかな。
malshal

malshalの感想・評価

3.3
純潔な娘が
惨たらしい
襲撃に
あってしまう

追いはぎ
三人衆は
まんまと
娘の家族の家へ

復讐し終えた
マックスフォンシドー

神の沈黙を嘆く
そして
泉がわく

罪の意識に
嘆くのなら
復讐なんかしなけりゃいい
それでも
誰に
シドーを責めることができるか

以下引用
外へ出れば広々として
どこでも好きな所へ行けるのに
それを知らない
daichi

daichiの感想・評価

3.5
ベルイマンが黒澤の羅生門に深い感銘を受けて作られた作品

ベルイマンには神の不在3部作があるが、この作品は決して神の否定を目的にしているのではなく、人間が神に祈ることと神が人間に罰や赦しを与えることは必ずしも相対するわけではないということを描き、神という高次な存在に対するひとつの解釈をしている

このレビューはネタバレを含みます

邦題:処女の泉
原題:Jungfrukällan
制作年:1960年
監督:イングマール・ベルイマン
キャスト:マックス・フォン・シドー
上映時間:89分
鑑賞方法:TSUATAYAレンタル(220円+郵便返却代)
メモ:
ベルイマンがオスカーで外国語賞を受賞した作品。個人的にベルイマン映画で暫定一位の作品。本作も「神の沈黙」を題材にした作品だが他の作品より「沈黙」の度合いがわかりやすい。

神は敬虔なクリスチャンの少女が辱められ森に捨てられたことを沈黙した。父親は犯人を殺め神の家である教会を建てることを約束した。それでもなお神は沈黙し続けるのか。

少女の遺体を運ぶ際に流れ出た湧水。これがタイトル「処女の泉」の正体。そこから湧き出たのは「神」の返答としての「聖水」なのだろうか。だとしたらこの作品では神は「沈黙」しかなかったということなのだろうか。

クリスチャンにとってあのラストがどのようなものなのかすごく興味深い。

ちなみに全く知らなかったがこの映画は「聖金曜日」に起きたことらしい(序盤で触れている)が、これはイースター前の金曜日のことらしい。宗教を描いた映画を観るにはやっぱり勉強が必要だ。
 土着信仰とキリスト教、レイプ殺人と神の沈黙と、なんとも禍々しいテーマの映画だったが、奇跡を奇蹟として描いてしまうところがベルイマンのフィルモグラフィ的にも特異な気がした(といっても、ほとんどベルイマンを見ていないのだが)
mi

miの感想・評価

4.0
無垢な女の子が強姦されて殺されるのはもちろん可哀想だけど、強姦には加担していない上、兄2人から明らかに虐待を受けていそうな男の子が殺されてしまうのが悲しい。殺される直前、家のおばさんが「神様は見ていてくださるよ」みたいなことを言ったりお祈りをさせたりと男の子を気遣ってあげていて、このまま家に留まって信心深い子として更生する可能性を見せられていただけにつらかった。最後のとってつけたような奇跡にはあまりぴんと来ない。ないままに終わるパターンも見てみたい。光と影のコントラストが綺麗。ジョンウィックとか96時間とか撮った人はこれも観てるのかな。
赤ずきんみたいな話。
カエルとかカラスの反復には象徴性だとか何かしら意味はあるんだろうけど、こういう映画苦手なんだよな(「ミツバチのささやき」めちゃくちゃ苦手だし)
これを牧師の親父に虐待を受けて育った監督が撮ったんだから凄い。
神を皮肉ってると思いきや、神を信じるものにも解釈を委ねるラストで素晴らしい。

60年の映画だが非常に見やすく入りやすく、
普段古い作品に観なれてない自分でも凄く入り込める作品でした。

処女の泉でベルイマン童貞捨てれて良かった
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