みんと

トト・ザ・ヒーローのみんとのネタバレレビュー・内容・結末

トト・ザ・ヒーロー(1991年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

アルフレッドが誕生日に大きな赤い車のおもちゃをもらい、それを見たトマが「僕らは病院で取り違えられた。」と言う。そしてトマは誕生日に同じ色のミニカーをもらう。この分かりやすいくらいの演出による対比が全てだろう。

しかし、この対比において大事なのは、「両者の幸福度に大差がない」ということ。お金と愛のある家庭に育ったアルフレッドも、アルフレッドの家ほど裕福じゃないけど、大人数の家族に囲まれたトマのどちらも幸せだったはずだ。
この、「幸せ者が更なる幸せをつかもうとする貪欲さ」という人間の性分がテーマで、ドルマル監督の描きたかった人生論なのでは。

そんなちょっとしたトマの「隣の芝は青い」という感情から始まった、妄想と現実の混在。
個人的に、最後にアルフレッドと和解するのもトマの妄想なのでは?とすら思ってしまった。なぜならば、幸せを掴めず人生に絶望し死んでしまいたいトマにとって、「アルフレッドと和解して、”ヒーロー”のように彼の代わりに死ぬ」というのはあまりにも綺麗で都合のいいことだから。「終わり良ければすべてよし」的な?


というか、そもそもアルフレッドの存在すら怪しくないか?という考え方もできてしまう。
同じ日に生まれ、隣に住み、互いの生活を羨み、同じ人を愛し、奪い、失ったトマとアルフレッド。同じ幸せを望み、それぞれの幸福度を補填し合おうとする二人を「貪欲な“一人の”人」として表現しているのでは。同一人物と言うか、顔は似ていないけどドッペルゲンガー的な存在?貪欲な一人の人が生きた2通りの人生?そう考えたらまさに「ミスター・ノーバディ」的な映画だ。
しかし、どちらとも満足度100%な人生ではないところが、現実的で良い。
アルフレッドは今の妻に、彼女をアリスと偽アリスを今でも想っていることとタバコを隠しながら生きている。これって、人生そのものではないか?


結局、どこまでが現実で妄想かはわからない。アルフレッドの存在すら怪しい。しかし、「ミスター・ノーバディ」みたいにそれを考察する必要はないというか、考察する映画ではないと思った。なぜならば、人生は自分という主観の世界で時に都合よく騙し騙し幸せを形成していくものだから、現実か妄想かという真理はトマ本人にすらわからないものだから。

人生って、幸福であればあるほど、それに盲目になり、他人を羨んだり、憎んだり、奪ったりして、都合の悪い記憶や人を抹消して自分を騙すことで自身の幸せや精神を保っていこうとする…まさにトマがしてきたことって人間の生き方を投影したものと言えるのではないかと思った。
「ミスター・ノーバディ」みたいに、宇宙・物理学が絡んでいるわけではないが、両作ともに、「人生とは何たるか」が描かれていた。

町山さんが、「ドルマル監督は、そういうことばっか考えているから数十年で数作しか撮れてない」って言ってたのが個人的ツボ(笑)
みんと

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