はぎはら

星の旅人たちのはぎはらのネタバレレビュー・内容・結末

星の旅人たち(2010年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

エミリオ・エステヴェス監督作品。原題は”The Way"。

中世から続く巡礼の道を辿る旅人たちの姿を描いている。巡礼の道と言っても、この映画は、信仰心の篤い人を中心に配置していない。主人公の初老の男(マーティン・シーン)が途中で1人の神父と出会うのだが、その神父はポケットに十字架の首飾りをたくさん持っていて、旅人に配っていたりする。世界でも最も有名な巡礼の道で、さりげなく勧誘をする神父がいるのもいい。


初老の男トムはカリフォルニアで眼科クリニックを開業している。
妻を亡くしてから息子のダニエルとはうまくいっていない。
ある日ダニエルは大学の教員を辞し、世界のことを知るために放浪の旅にでかける。
人生を選び取ったと考える父は、人生に迷っている息子が不満だ。
父の問いに対して、息子は、人生は選べない。ただ生きるだけだ、と答える。
父親のトムは息子のことをうまく理解できないことに傷ついている。

ある日、突然息子の訃報が舞い込む。残された遺品はリュックサックと身に着けていた衣服だけ。トムはダニエルが向おうとしていた聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラまで、800キロの道を歩いてみることを思いつく。
映画は、多くのバックパッカーたちに交じって、息子のリュックを背負い、サンティアゴまで旅をする初老の男の心の動きを描写していく。

旅の最初は、他の巡礼者たちから離れて歩きだしたトムだが、同じ道を歩くうちに、話し相手ができる。
巡礼者といっても、現代のバックパッカーの思いは様々だ。
スランプに陥った作家、夫が娘にふるった暴力の記憶が消えない女性、太ったお腹を引っ込めたい中年男性まで、思いも出身地もキャリアも違う男女が、同じ道を聖地サンティアゴを目指して歩く。

行く先々の巡礼者専用の宿で、巡礼者たちは思い思いのテーブルで、集まっては話をする。偶然出会った者同士が、1カ月程の旅の間、食事と酒を共にしながら、歴史や文化の話しに交えて、身のうち話をする。
それが現代の巡礼かもしれない。

様々な足跡を残しながら、やがてトムは仲間と一緒にサンティアゴの大聖堂に到着する。トムは携えた息子の遺灰を海にまくために、サンティアゴからさらに大西洋に面した海辺の町まで歩いて向う。
仲間もトムと同行して、海岸で遺灰を撒くのに立ち会う。

トムにとって最初は息子に別れを告げるための巡礼の道であった。
だが、次第にその道は、人生そのものだと気づかされる。
仲間の誰しもが、それぞれに人生を見出す道であることが実感される。

マーティン・シーンと息子の監督エミリオ・エステヴェスの思いがストレートに表現された映画だ。
作りたかった映画を父親と一緒に撮る。ロケの旅は監督にとっても人生を見出す旅だったに違いない。
はぎはら

はぎはら