海外批評の高評価作品をまとめただけの「ゼロ年代の映画(ベスト・リスト)」というものをブログにアップしたら、なぜか2日間で1万アクセス以上付いたわけですが、
http://cinemaguide.hatenablog.com/entry/best-of-00s
ああそう、結局みんな「安心安全なガイド」が欲しいだけなのね、はいはいと軽く受け流していたところ、『グラン・トリノ』が入ってないやん!という真っ当なコメントが付き、僕は大阪の方を向きながら、イーストウッドとスピルバーグを愛する男のことを考えていた。あるいは「アメリカ映画」のことを、だったのかも知れないが。
学生の時ぶり、つまり6年ぶりくらいに再見しましたが、いやー、これがイーストウッドの「遺書」だとは、あの時は気付かなかった。曲がりなりにも西部劇なり何なりを観た後だとかなり感じ方が違うなと。コーエン兄弟の『ノーカントリー(・フォー・オールド・メン)』への回答と言うか、叱責と言うか。
とは言え、世代や人種や血縁や性別を超えた「対話」を描きつつ、それ以上に強調されるのはやはり他者との「断絶」かもしれず、しばしうなだれる。というか、「断絶」と「対話(=継承)」をここまで色をハッキリと分けて描くあたり、表出してくるのは根っこにある絶望でしかないのだろうなと察し、泣ける。終わったアメリカもあれば、始まったアメリカもある、ということなのだろうか。