豚アーニャ

グラン・トリノの豚アーニャのネタバレレビュー・内容・結末

グラン・トリノ(2008年製作の映画)
-

このレビューはネタバレを含みます

クリントイーストウッド作品3日目

これを見ろと言われてた作品でもあり、なんとなく避けてた作品でもある
50年代を生きてる白人主義で退役軍人の頑固爺さんが、人種とぶつかる映画。

「こっちの方が親近感が湧く」
みたいな台詞がずっと引っ掛かってた。
思い返してみたら、家族も、孫達もウォルトに対する文句や遺産を狙うシーンしか無い。スーを脅した黒人達も、銃を向けられた後にお互いを貶しあってた。唯一無いのがタオ族の集まりだった。ウォルトの友人達とのトラッシュトークはあったけど、あれは「男の会話」として翻訳されてる。キツい冗談をそこから広げると、全くと言っていいほど家族には通じてない。感謝パーティさえ中止になるほど通じてないし、葬式が終わった後の会話さえ通じてない。頑固親父の成れの果てでもある。
ただ、その頑固親父の悩みでもあった「息子との間に溝が生まれてしまった」罪の意識。そして、電話が終わった後の息子の間。ちょっとだけ親子の瞬間が見れた気がしたけど、多分電話折り返してないんだろうな。とも思った。
打算的な会話はせず、目の前の人と話をしてたのはこの映画中でモン族の人だけだったような気がする。

グラントリノを盗むよう仕向けるのも、対象がアメリカ人で、仲間の証だったのかもと思った。ギャングの流儀みたいな。クソだと思うし、これは批判されても仕方ないと思う。ギャングを追い払って感謝の印をウォルトに送ってたのも、タオ家族と喧嘩してたのも、まだ「悪役」ではなく「迷惑」を追い払っただけのような気がした。
少なからずモン族は、タオをギャングから守ったり、身内を擁護するシーンは多かった。
あのクソギャングの1人が「俺も昔はそうだった。でも今では指一本ふれられない」みたいな事を言ってるし、「仲間の従兄弟は俺の従兄弟」という台詞も、しがらみではあるけど本音も少なからずあるのかなとは思った。躾と称した失敗のヤキを入れる文化なんて理解したくないぐらいクソだと思ってる。

そしたら、もちろん忘れてないのはスーのこと。
あの痛々しさはキツい。
ウォルトに対する報復としてスーが選ばれた。なぜ選ばれたのかを考えると、スーが唯一ギャングに反抗してたからより、ウォルトと仲が良かったからのが強く感じる。家に銃弾が撃ち込まれたのは、「お前らはアメリカ人と仲良くする裏切り家族」。
これは、モン一族と仲良くなる前のウォルトの信条と同じもんだと思ってる。それまでのウォルトだったら報復しに行ってたところを、丸腰でやられに行った。幾つか今があると思った。一つ目はタオとスー家族を救いたかった。二つ目は過去に朝鮮人をやった罪を消したかった。三つ目はギャング達の未来を考えた。三つ目まで考えるとおかしいかもしれない。悪役で描かれていたギャング達である。だけど、先述した通り、ギャング達もモン一族である。タオには○しの不幸を避ける。ギャング達には○しを教える。差別主義のウォルトには、一族全員に少なからず何か思い入れがあったのではないかなと思った。どうしても懺悔とか個人の思いとか勧善懲悪で死んだと思えない。拡大解釈しすぎかもしれないけど。ラストのモンとスーに対する元いじめられっ子ギャングの視線は、一族愛か謝罪か。
ヤムヤムはもうちょっと出るのかなーとも思ったけど出なかったな。
あと乾燥機を直すのに地面にへばりついて若い人らに見られてるの、家族の前では絶対やらなかっただろうな。
「男の映画」とかで済ませようとしてた自分には深すぎる映画だった。
一応書くけど集団レイプするやつらは全員クソ。
豚アーニャ

豚アーニャ