三樹夫

機動警察パトレイバー2 the Movieの三樹夫のネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

ベイブリッジにて爆発が発生。どうやら自衛隊の戦闘機による空爆の仕業と思われたが、後藤と南雲の元に荒川と名乗る怪しいおっさんが現れ、今回の事件は自衛隊機に見せかけて米軍機の仕業であり、平和ボケした日本を憂う国防族や米軍、軍需産業の一部グループが空爆はせず戦闘機を飛ばして危機感を煽ろうとしたのを、メンバーの柘植行人が計画を乗っ取り空爆したものと言ってきて捜査の協力を頼んできた。
柘植行人は3年前PKOとして派遣され、ゲリラと接触したが専守防衛の遵守から発砲が許可されず、部下を亡くした男だった。また柘植はレイバーの軍事利用に早くから目を付け柘植学校と呼ばれる研究組織を立ち上げ、そこに派遣された南雲とは不倫関係にあった。
そんな中三沢基地から3機の戦闘機が東京へ向け南下との知らせが入り、撃墜命令が下されるが、実際には三沢基地から戦闘機は発進しておらず、ハッキングにより創り出されたフェイクに踊らされたに過ぎなかった。
警察上層部は権限の強化を企み、三沢基地司令官を拘束、自衛隊基地前に警備の名目で警察隊を嫌がらせで配備し監視した。これに自衛隊は反発し籠城することとなる。事態の収拾を図る政府は自衛隊を都内に治安維持出動させ、街中に軍隊が配備されることとなる。
正体不明の戦闘ヘリが3機飛び立ち、レイバー格納庫や警視庁への銃撃が行われる。そしてまた3機の飛行船が飛び立ち、その内の1機を攻撃すると急降下を始め街中にガスを放出し始めた。ガスは有毒ではなかったが、飛行船内には有毒ガスも積まれており、都民が人質に取られたも同じ事態となる。
後藤と南雲は、保身と責任のなすりつけ合いに走り碌に撃つ手立ても見いだせない警察上層部に見切りをつけ、独自にアジトへの襲撃をかけ柘植の確保を試みる。後藤は、荒川は自分たちの情報が漏れないよう柘植を自らで逮捕するために利用しようと特車二課に近づいたと、荒川と柘植は同じグループと見破り荒川を逮捕する。旧第2小隊と共に突入し柘植を逮捕した南雲だったが、柘植は特に何も語らず、「この街の未来をもう少し見ていたかった」と自決しなかった理由だけを述べた。

ストーリー全体をざっくり書き出したが、ざっくり書き出しただけでこの分量、長い!複雑!!劇場版前作は押井みがするもののパトレイバーの大衆性力で押井みを何とか留めエンタメ作品となっていたが、今作ではパトレイバーの大衆性を跳ね除け押井みが爆発。自分の考えた戦争論を誰かに聞いて欲しかっただけだろう、押井映像論文みたいな作品となっており、第2小隊はほとんど出てこず、野明に至っては何の興味もないのが丸わかりで、エンタメ性は最後の埋め立て地突入に見られるものの、完全に押井が乗り移った押井の分身の荒川と後藤の偽りの平和と真実の戦争談義が延々続く。しかしレイアウトや構図、緩和のギャグにより何か見れてしまう不思議な作品となっている。
キャラデザは後の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』のような人形感のある生気のないキャラデザで、画面全体も白みがかっており。冬の寒々しさを感じられる、体温の低い画となっている。自衛隊が治安維持のため街中に配備される流れは、この流れでそうやすやすと治安維持出動されないだろうという流れの無理矢理感があるが、日常風景の中に戦車や装甲車が溶け込む非日常的な画が印象に残る。
学戦運動に乗り遅れたのにいつまでもこだわるおじさん押井の、学生運動がだめならクーデターだ感があり、柘植もまた押井の分身感のあるキャラクターになっている。見た目は白髪になってからの宮崎駿に似ているけど。この作品は押井先生の戦争論面白いっすという一方でナルシスト臭漂うキモさもある。ただし柘植に対する南雲の、偽りの平和とか言うけどその偽りの平和の中に過ごす人々をお前の勝手な考えで犠牲にするとかふざけんな、みたいなセリフはこの作品に対する自己批判かつナルシズムへの自省となっており、また柘植って何かカッコつけてるけどこいつだたのテロリストじゃねという神格化へのクールダウンとなっていて、押井の戦争理論への肯定派も反対派も観れるようなバランスが取られている。そもそも柘植は、自衛隊が街中に配備される非日常を市民が完全に日常として消化した時点で負けている。市民の凄まじいまでの鈍感っぷりの前に敗北している。
この映画最大のキモいところは南雲、柘植、後藤による三角関係だ。柘植と後藤が南雲を取り合うという構図になっており、南雲はトロフィー扱いになっている。右翼作品だろうが左翼作品だろうがジェンダー面で見ると女性への人権軽視が今観るとキツいという、今もあるが昔の映画を観ているとちょくちょく遭遇する、女性が人ではなくトロフィーなどもの扱いというのは女性に人格を認めていない、おそらく作っている本人は無自覚なミソジニーの発露。自衛隊のクーデターというのでこの作品も参考にしたであろう『皇帝のいない八月』の右翼上瀬恒彦と左翼山本圭が吉永小百合を取り合うのと同じキモいことをしている。南雲が柘植に未練タラタラは男の都合のいい願望がだだ洩れで、手錠するときの指の絡ませ方は気持ち悪い。
若者蔑視もあり、旧第2小隊と若手の隊員との温度の違いで最近の若者はやる気が無くてどうしょうもねぇなとおっさんの説教感がある。とにかく長時間労働と、効率化や最適な人員配置の取り組みはなく、業務時間を短くすることに工夫も行わず長時間労働を強いることに疑問を感じていないのは、おじさんさぁもうそういうのじゃないんだよと今観ると休むことや工夫を凝らして楽にすることを異常に悪と見なす有害なおっさん感さえ浮かび上がってくる。
ジャンルとしてはポリティカルサスペンスといったところだが、押井守の作家性が発揮され謎の映画に。それ故に良いところと悪いところが出て、またこの映画ヘの好き嫌いも分かれる。多弁な映画であるものの最後まで柘植や荒川の動機、真意などは作中語られることはない。宮崎駿の押井評は、意味ありげだなあと思っていたらしょせん意味など無いんだと、おかしいなあと思うと先回りして言う、語り口は巧妙な、意味ありげに語らせたらあんなに上手い男はいないとのこと。
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