再鑑賞につき再投稿。
初markは2017年10月26日。
初見時(劇場でのリバイバル上映)は終始静かな内容にほとんど眠りこけてしまったし、劇中で流れるジェームズ・ホエールの『フランケンシュタイン』もちゃんと観る前だった。
今観ると、様々な要素がメタファーとして有機的に繋がっていることが分かる。
蜜蜂やキノコといった自然物を管理、選別する父。
見た目はおぞましい大男だが、中身は生後間もない赤ん坊同然のフランケンシュタインと、彼を退治しようとする人間たち。
そして、まだ現実と幻想の区別がつかないアナと、彼女を騙してからかう姉のイザベル。
"イノセントな存在"と、"それを支配、排除する者"という対立構造が作品全体に敷かれている。
そんな"イノセント"を体現するものとして、アナの顔、いや"瞳"は唯一無二。
説明的な台詞を排し、抑制の効いた詩情豊かな映像表現が、監督が自発的に選び取ったものではなく、独裁政権下のスペインで撮られたから「そう表現せざる負えなかった」というのが面白い。
アナの家内は、蜂の巣を思わせる黄色い暖かみのある照明で包まれてるのに家族関係は冷え切ってて、幻想的なアナの主観場面は黒が際立つ撮り方の皮肉な対比も秀逸。