Jeffrey

山猫のJeffreyのレビュー・感想・評価

山猫(1963年製作の映画)
4.5
「山猫」

〜最初に一言、豪華絢爛とはこの事を言う。映画の3分の1を大舞踏会に費やしたヴィスコンティの真の傑作で、小林正樹の「切腹」を差し置いてパルムドールを受賞した60年代の最高傑作の1本だ〜

冒頭、1860年5月。イタリアの統一と独立を目指すリソルジメント(復興)の波は、シチリアにも及んだ。ガリバルディ将軍の率いる赤シャツ隊、マルサラに上陸、市街戦。公爵邸、別荘の旅路、娘の恋、投票、結婚の申し出、使者、新時代への誘い、大舞踏会。今、華麗なラスト・ワルツが我々を感動させる…本作はルキーノ・ヴィスコンティを含め、5人が脚本を執筆し、伊と仏で合作した1963年の映画で、ヴィスコンティが監督し第16回カンヌ国際映画祭最高賞パルムドール賞受賞した傑作で、私にとっては憎き作品の1つである。というのも小林正樹の最高傑作「切腹」もコンペティションに出品されていたが、残念ながら賞を逃してしまったからだ。確かに"山猫"も凄いが、私は"切腹"の方が好きである。切腹は、チェコ映画のヴォイチェフ・ヤスニー監督の「猫に裁かれる人たち」と審査員特別賞を受賞した。ヴィスコンティが初めてイタリアの貴族社会を取り上げた本作を今回久々に4K BDにて再鑑賞したがやはりものすごいものがある。バート・ランカスター、アラン・ドロンを始め、絶世の美女クラウディア・カルディナーレが出演している。

本作はオリジナルイタリア語は185分だが、20世紀フォックスが長すぎると言うクレームのためシドニー・ポラック監修で161分版が主に出回っている。今回は完全版で鑑賞。イタリア貴族の末裔であるジュゼッペ・ランペドゥーサが自身の体験を下敷に、彼唯一の長編小説を映画化した作品で、映画では全8章のうち第6章までを取り上げている。原作は、シチリアの公爵ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサが死の前年に完成させた唯一の長編小説である。この映画を見るとヴィスコンティがいかにも好きそうな世界観だなというのがわかる。ガリバルディ将軍のシチリア上陸と言うイタリア統一戦争の時代を背景に、若者たちの明るい未来へ突き進む姿や、彼らの誇りある姿を観客に眺めさせるような感触で描いている。今思えば、「山猫」が作られてから15年前のヴィスコンティの最高傑作と自負する、「揺れる大地」(48)と同じシチリアが舞台である。「揺れる大地」のときには18人だったスタッフだったが、「山猫」では約200人に及んでいる。

しかも電気技師20人にオープンセットの建築労働者150人、メイキャップ係、ヘアドレッサー、舞踏会衣装の方々20人が加わった一大叙事詩である。この映画見たらわかるけど、約3分の1が大舞踏会の場面である。この場面だけで36日の撮影期間が費やされ、主な俳優20人のほか、男女含めて約240名のエキストラが、それぞれドレス、軍服と言ういでたちで登場する。しかもエキストラの3分の1は本場のシチリアの貴族で、「ルートヴィヒ」(72)の載冠式や「イノセント」(76)の音楽サロンのシーン以上の美しさとリアリティーを与えていると当時話題になっていた。この傑作の次の「家族の肖像」でもランカスターは起用され、若いカップルを演じたカルディナーレとドロンは既に「若者のすべて」に出演していて、本作で2度目の出演であったはず…(記憶が曖昧)。とまぁ、正直この映画は凄い映画である事は確かで、嫌いでもなければものすごく好きと言う映画でもないが、ただ一言言えるのはバート・ランカスターとクラウディア・カルディナーレのクライマックスの舞踏会でのワルツの踊りは壮大なロマンが秘められていて、その場面を見るだけでもこの映画を観て良かったと心の底から思うのである。今後このようなワルツが見れる事は決してないだろう。

さて、物語は1860年5月、イタリアの統一と独立を目指すリソルジメント(復興)の波は、シチリアにも及んだ。ガリバルディ将軍の率いる赤シャツ隊が、マルサラに上陸したのである。ブルボン王朝の圧政に耐えかねていたシチリアに解放の日がやってきた。ドン・ファブリッツィオを当主とするサリーナ公爵家は、山猫を紋章としており、シチリアで数十代に及ぶ歴史を持つ名門であった。この騒然とした雰囲気の中、ある朝、公爵がことのほか愛する才気あふれる甥タンクレディが、ガリバルディの率いる赤シャツ隊に参加するため、いとま乞いにやってきた。公爵は驚いて引き止めようとするか、甥の決意は固かった。公爵は、金を一包に彼にそっと手を出すのであった。パレルモでは、ガリバルディの解放軍とブルボン王党軍との市街戦が激しさを増していた。硝煙の中を進む兵士たちを追う赤シャツ隊の中に、タンクレディの姿もあった。こうした非常事態にもかかわらず、ドン・ファブリッツィオは恒例通り一家を挙げて、ドンナフガータ村にある別邸に移動した。

戻ってきたタンクレディも一向に加わっており、公爵の長女コンチェッタにも大変優しかった。公爵は、村長のドン・カロージェロ・セダーラや村人たちの関係に対するお礼の意味も兼ねて、邸で晩餐会を開くことにした。晩餐会の開かれる日、ピローネ神父がやってきた。パンチェッタがタンクレディに思いを寄せており、公爵に許しを得たいと言う。公爵は、年頃の娘は可愛かったが、野心に溢れたタンクレディにふさわしいのは才気煥発でしかも大金持ちの娘であり、控えめなコンチェッタではないとこれを避けた。晩餐会には、村長のカラージェロは最高のおしゃれをしてやってきたが、そのあか抜けない風体に公爵家の人々は失笑を抑えかねていた。ところが、一同は娘のアンジェリカの姿に魅了されてしまった。タンクレディは、晩餐会の間中彼女との語らいに熱中するのだった。そうと気づいたコンチェッタは、心穏やかではなかった。一方公爵は、この新興ブルジョワの娘と名門だが財政的に没落した貴族の息子との縁組を、新時代のもたらすものとして、祝福せねばなるまいと感じた。

時代は変わりつつあった。ヴィットリオ・エマヌエーレ2世を旗頭に、シチリアも統一イタリア王国を形成する方向に向かったのである。その新秩序に賛成か否かを問う、有資産者による住民投票が行われた。公爵は賛成の一票を投じ、さらに村長と新政権に乾杯殺した。タンクレディーは新生イタリア王国の一員として配属地に赴いて行ったが、まもなく、アンジェリカとの結婚の話を進めてほしいと公爵に手紙をよこした。それを知った公爵夫人は大いに立腹したか、公爵の気持ちは既に決まっていた。そんなある日、公爵はオルガン奏者のドン・チッチョを狩りに誘い、カラージェロ一家の事などをさりげなく聞いてみた。カロージェロはただ時流に乗った成金に過ぎないとチッチョはきめつけた。公爵がタンクレディーとアンジェリカの結婚のことを話すと、彼はアンジェリカは美しい天使であるが、そんなことをしたら全てが終わりだと猛反対した。公爵は彼の気持ちをよく分かっていながらそれに対して静かに反論した。

公爵は、カラージェロを自邸に招くと、アンジェリカをタンクレディの花嫁に向かいたいと申し出た。自分の運命に、自ら審判を下すかのような辛さと潔さを、公爵は感じていた。一方、カラージェロにとって、これは思いかけぬ幸運であった。村長はアンジェリカの持参金に膨大な額を約束した。数日後、タンクレディーが同僚とともに突然任地からドンナフガータに戻ってきた。サリーナ公爵のー族の前で、彼はアンジェリカとの婚約を発表し、皆の祝福を受けた。だが、コンチェッタは失意のどん底にあり、タンクレディの同僚カヴリアギ伯爵の行為も、彼女には煩しいだけのようであった。タンクレディレディーとアンジェリカが婚約者同士の楽しい日々を送っている頃、公爵の許に新イタリア国王エマヌエーレ2世からの使者、シュヴァレ準男爵がやってきた。新生イタリアの国会にサリーナ公爵を上院議員として迎えたいと言う依頼に対し、公爵が穏やかに且つきっぱりと辞退した。数日後、ポンテレオーネ公爵ドン・ディエゴの邸で大舞踏会が開催された。サリーナ公爵一家のほか、アンジェリカとその父親も招待された。アンジェリカのすっかり洗礼された美しさは会場の中でも際立っており、そのことがタンクレディには誇らしかった。

しかし、その賑わいの中でサリーナ公爵は雰囲気に溶け込めず、妙な疲れ覚えて自分の老を悟った。突然、公爵はアンジェリカにダンスの相手をしてほしいと懇願され、ついに彼女の熱心さに負けた。広間の人々は、2人の優雅なダンスに思わず見とれた。しかし、1曲が終わると公爵は混雑の中に紛れていった。明け方、舞踏会は終わった。公爵はタンクレディに家族を家まで送るように頼むと、1人で薄暗い道をあてもなく、ゆっくりと歩き出した…とがっつり説明するとこんな感じで、「若者のすべて」(60)と「熊座の淡き星影」(65)の間に作られたヴィスコンティの代表作である。今思えばヴィスコンティの処女作であると同時に戦後ネオリアリズムの先駆けとなった作品で、ヴェルガの「グラミーニャの恋人」の映画化を処女作とするつもりでいたが、しかしファシストの検閲は脚本段階でこの作品を蹴ってしまった。やむなく代案として出したのがケインの「郵便配達は2度ベルを鳴らす」であった事がふと頭をよぎる。



いゃ〜、久々に4Kで見たけど圧倒的な映像美、これはもはやDVDや通常のブルーレイで見る事はできないほどの解像度と音響である、傑作。冒頭の風光明媚な土地柄に佇むと言うかそびえ立つ宮殿の美しさと壮大な音楽のメロディーにのせて山や自然を捉え、風までを写した素晴らしいファースト・ショットだ。んで、上映が始まってから20分過ぎには、イタリア統一運動を推進し、イタリア王国成立に貢献した軍事家のガバルディがイタリア統一を進めるため、多くの軍事行動を個人的に率いた赤シャツ隊がシチリアに上陸してからの壮大な広場での戦いは凄い迫力である。きな臭いシーンから原風景的な美しい山々と大地のシーンも壮大な眺めだ。そういえばうんちくだが、物語の3分の2が過ぎた頃に、エントランスでの大舞踏会のように踊る場面があるのだが、そのシーンで汗をかいてたりセンスで仰いだり、ドロンやランカスターのクローズアップなどのときの額に書。かいている汗などは自然光を使っただけでのライトアップのために、ろうそくを室内に大量に照らした為に、部屋が蒸し風呂状態と言うこと大汗かいたらしい…。

それにしてもこの映画3時間もあって最大の見所というのがやはりクライマックスのラスト・ワルツだろう。こんなにロマンを秘めたワルツが今後見る事はまずないだろうと、「山猫」が制作されてからもはや50年以上経った今日、やはりないではないかと言う気持ちが前面に出てくる。なんだろう、この全体のシンボルのようなラスト・ワルツがこの「山猫」の水準をのし上げた最高レベルのワンシーンだったのだろう。そういえばこの作品でプライベートでも親交があったドロンとヴィスコンティはギャラの問題で絶縁したと聞いたなぁ。こういう悲しい事柄もある中、この素晴らしい映画が出来上がったのは非常に観客としては嬉しい。そういえばシチリア移民の子であるイタリア系アメリカ人の映画作家マーティン・スコセッシは、ロベルト・ロセリーヌとイングリット・バーグマンの娘であるイザベラ・ロッセリーニと結婚して、日本旅行しに行った時は、ちょうどこの「山猫」が日本でも上映していた頃だったんじゃないだろうか?

ラスト・ワルツが最大の見所と言ったが、印象を受けるシークエンスは他にもたくさんある。ガリバルディの赤シャツ隊がパレルモの市街でブルボン王朝軍を追い詰めていくシーンなども圧倒的であるし、何よりもイタリアの母親と言うのはどこまでも力強く、勇敢だなというのが証明されるシーンが多かった。オルミのバンガルディア地方を舞台にした貧しい農村映画「木靴の樹」、ヴィスコンティがシチリアを舞台にした漁村の貧しい一家を捉えた「揺れる大地」、同じく本作の貴族を描いた「山猫」これらを見比べるのも良いのかもしれない。そもそもイタリアと言うのは、長靴の形をしたイタリア半島と言うことで、我々日本人は歴史の授業などで習ったと思うのだが、そもそも歴史時代初期に住んでいた原住民の名前に起源を持っている子牛(ヴタリ)をトーテム像として崇拝していたことで、その住民はヴダリ人と呼ばれていたそうだ。そして徐々にヴダリ人が変化し、イタリアとなり、同時に全イタリアに拡大されて行き、現在の半島に住む人々をイタリア人と呼ぶようになったと言う経緯がある。

そうした歴史背景の中に、リソルジメント運動というのが開始され、アルプスを越えて怒涛のごとく押し寄せたフランス革命の政治思想に強く影響受けたジャコバン主義的愛国運動の中に見ることができると言われている。そして色々とイタリアには歴史が舞い込んでくるのだが、それを書くと長文になってしまうため割愛して、ここで作者のランペドゥーサについて少しばかり言及したいと思う。山猫が発行された時はいろんな意味で話題になったそうだ。この長編小説の作者は、それまで全く世に知られていなかった人物であり、しかしながら作品が素晴らしかったため、原稿を読んで出版社が調べると、それがシチリア島の貴族でパルマの公爵であることがわかった。ところがそのとき彼はすでに癌にかかっており、本作が最初にして最後の小説であり、これが人々の目に入ったときには作者は60歳で死去してしまい、これが最初で最後の作品になったそうだ。

そろそろ書くことがなくなったのだが、ヴィスコンティの生涯において「山猫」ほど巨額の富を使った作品もなく、壮麗な一大歴史絵巻は1度は見るべきだと思う。美術はもちろんのことだが、あらゆる演出によってシチリアの美しい風景や、たった7分間しかない戦争シーンでのエキストラの数、砲弾の破裂音や赤シャツ隊の色彩効果など全てがすごいものである。ちなみに中条氏が言うには、180人分の赤シャツを作るのに、生地を紅茶で煮しめ、さらに焼け付く太陽のもとに何時間もさらして、土の中に埋め込んでからシャツに仕立てたと言うことだ。ヴィスコンティの完全主義のほんの一例がここにも現れていると言っていた。衣装担当のピエロ・ロージの助手たちの信念だろう。しかもシナリオ執筆に参加した女性脚本家が言うには、監督の映画作りで、花を盛るために使う花屋まで、ローマからシチリアまで連れてきたそうだ。中にはコックもいて、彼らの仕事と言うのは、衣装の色に合わせた食事を作ることと言っていた。かなり凄いことだ。でもやはりかなりの制作費があったためか、世界的に有名だった(1960年にエルマー・ガントリーでアカデミー賞主演男優賞受賞していた)バート・ランカスターを選んだのは必然だっただろう。結果監督は彼のことを気にいって「山猫」への起用は大成功だったと喜んでいたのだから万事解決だろう。
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