自宅に差した花束の水のカビが「美しいから」とそのままにしていたり、もらった包みのまま花束を置いて朽ちるようすを愛おしむというジェーン・バーキンの感覚は、色硝子瓶に積もった埃を払わない森茉莉に似ている。そういう感覚はアニエス・ヴァルダも共通するものがあり、『落穂拾い』にもつながる。
円環構造となっている。滞在したロケ地のホテルで飲んだカクテルで気持ち悪くなって吐いたことを30歳の誕生日の思い出として語るジェーン・バーキンから始まる。彼女はルネサンス絵画の寓意的背景として配置される召使女の扮装をしている。その時代の肖像画の背景になぜ衣装箱を探る召使女が共通して描かれているのかという疑問から、ゴヤ「着衣のマハ/裸のマハ」などの扮装での絵画作品再現や、バーキンがアリアドネ、カラミティ・ジェーンなどに扮したりすることで、表象としての女性についてのアニエス・ヴァルダの言及ともなりつつ、バーキンとの対話により、気軽で散文的な遊びのようにこの作品全体が出来上がっている。
同時にヴァルダが彼女にインタビューし「カメラを見つめて」というが恥ずかしがるシーン、有名なぼろぼろの「バーキン」をひっくり返してゴミみたいな荷物をわさーっと出すシーン、バーキン自身がセンセーショナルな半生を語り、『ナック』や『欲望』のシーンやセルジュ・ゲンスブールとのレコーディングシーンとともにこのとき完成したばかりだったであろう『カンフー・マスター!』でシャルロット・ゲンスブールやルー・ドワイヨンが登場し、そこで使われた家が実際にバーキンの自宅であることもわかるシーン、そのほかサスペンス的なドラマシーンやジャン=ピエール・レオとのシーン、ヴァルダとバーキンがローレル&ハーディのような扮装で喜劇を演じるシーンなどがインサートされ、ヴァルダ本人も述べるようにほんと散文的。途中ちょっと長いなと思った。寝落ちして覚えてないところがある。
しかしこういう散文的非構成的な構成をとりつつセットや衣裳などしっかり組んで壮大に造り上げ、ジェーン・バーキン40歳の誕生日プレゼントという私的なイベントに帰結させること自体が、ヴァルダの表現に他ならないのだろう。