葛西ロボ

アンドレイ・ルブリョフ 動乱そして沈黙(第一部) 試練そして復活(第二部)の葛西ロボのレビュー・感想・評価

5.0
 映像詩人タルコフスキーがロシアで最も重要な宗教画家アンドレイ・ルブリョフを題材にした歴史大作。どうせまた眠くなるような映画なんでしょ?なんてとんでもない!いつも通り出足の遅さはあるが、終わってみれば退屈さの欠片もない傑作だった。
 二部構成でそれぞれご大層な邦題がつけられているが、中身を覗いてみれば時期別の10章立てになっていて、ひとつひとつにテーマが割られ、歴史を刻む断章のように進んでいく。
 腐敗した教会と民衆が映し出され、芸術家の仕事とはいったい誰のため、何のためかが問われる「旅芸人」「フェオファン」「アンドレイの苦悩」。信奉する神のかたちや求めるモチーフに苦悩する「祭日」「最後の審判」。政治的動乱によって打ちのめされる「襲来」「沈黙」。そして若き青年の鐘づくりを通して、深い孤独の果てに魂が宿ることを描いた「鐘」。
 ルブリョフが大して取り上げられない章もあり、一人の男の伝記というよりも、彼の生きた時代背景や、芸術家の苦悩を描くことに監督の意識は向けられている。ルブリョフに嫉妬して決別し、後年にその心情を打ち明けるキリールの存在などは『アマデウス』におけるサリエリが思い出される。また動乱のシーンは黒澤映画と見まがうばかりのスペクタクルで、馬が一頭死んだらしいのはあかんけど(たぶんあの落下したやつ)、それだけ生々しい光景が映し出されている。
 芸術は誰のために、何のために。神に仕えるとは、罪を贖うとは――。芸術家というのは信仰が無くては描けない手前、信仰が深すぎても描けないのだ。信念が崩れ、疑いを持ち、打ちひしがれて、また立ち上がること。その過程をつぶさに追いかけることができれば、作品内における宗教的な性質を気に留めすぎることもないだろう。
 物語の帰結を見るにしても、結局のところ芸術家ほど信仰から遠く、また近すぎる存在もないのだと思う。自分の生きる時代に寄り添わざるを得ない手前、求めるものと求められるものが一致するとは限らない。それでもギリギリのところを手探り、掴みとって、手繰り寄せていく。キリール曰く罪深い存在として、また神に選ばれた存在として。激しく移り変わる時代の中で、その個人的な懊悩に触れる時、何よりも深く歴史に横たわってきたものを感じ取れる。象徴的なプロローグから、カラーに転じるエピローグまで、傑作ですよ!傑作!