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トゥモロー・ワールドのRのレビュー・感想・評価

トゥモロー・ワールド(2006年製作の映画)
4.8
前回見てレビューをあげたのが2015年01月10日、当時は☆3.7 あれから約10年が経ち、なぜかふと気が向いたので見てみたら、おいおいおいおい、めちゃくちゃおもしろいじゃないか!!! というわけで、お☆様この状態になりました。2回目見て感じたのは、1回目見たとき、特に前半あんまりよく理解できてなかったんじゃないかなーということ、で、どういう内容なのかそこそこ知った状態で見たほうが1回目からより深く楽しめるということを確信したので、事前に知っておくべきことを盛り込みつつ、感想を述べていきたい。まず、本作の舞台となるのは、2027年、あと2年後ですね、ロンドンのカフェのテレビから流れる世界最年少の18歳の男子が殺害されたニュースに皆が釘づけになっている。泣いている者もいる。2009年、この青年が生まれて以来、地球上すべての女性が不妊となり、人類は子孫を残すことができなくなてしまったのだ。人類は未来への希望を失い、全世界が絶望と暴動のカオスと化し、お行儀の良い日本もその例外でなくなってしまった、そんななか辛うじて秩序を保っているイギリスには、不法入国の難民が殺到、国境を封鎖し、徹底的に難民を取り締まっても流入を止められない。生きる目的を求めて、ある者は政治活動に、宗教に、テロリズムに没頭、またある者は政府の認可した自殺キット「Quietus」で人生を終える。性やギャンブルのアドレナリンドライブに身を任せる者もいれば、ペットを子代わりにする者もいる。主人公のセオはと言えば、ただひたすら酒を飲み、煙草をふかし、精神麻痺状態で仕事をこなして暮らす毎日。ある朝、セオは出勤途中、謎の車に拉致され、反政府組織「フィッシュ」のアジトに運ばれるが、そのリーダーは実はセオの元妻ジュリアンだった。同名のジュリアン ムーアが演じるクールな女の人。テオもかつては当組織の活動家だったが、ジュリアンとの息子ディランが亡くなり、離婚して無気力状態に。組織からも身を引いていた。ジュリアンの狙いは、キーという名の移民の少女を「ヒューマン プロジェクト」という組織に引き渡すため、必要な通行証を得ることだった。このキーという少女が本作で最大のキーとなる人物で、彼らは彼女を連れてフィッシュのアジトに向かうのだが、その道中、本作最大の見どころのひとつ、まばたきを忘れるほど生々しくスリリングなカーアクションが大展開! 画面からまったく目が離せないその理由は、なんとすべてワンショットで撮影されているとのこと。すごすぎる!!! そしてキーが彼女の抱える秘密を明かすべく、乳牛たちに囲まれながらまとった衣服を脱ぐシーンのアイコニックさは神話レベル。その後、「フィッシュ」内の裏切りと企みをかぎつけたテオは、ジュリアンの目的を達成するためキーを連れて「フィッシュ」を脱出、「ヒューマン プロジェクト」の船、トゥモロー号の合流地点を目指して進んでいく……という流れなのですが、本作の面白さは、ストーリーそのものよりも―というか、主人公が思惑の絡み合うコブウェブの真っ只中に放り込まれたような状態なので、ストーリー自体は正直いまいちピンとこず、よくわからないのですが―彼らをとりかこむ状況そのものなのです。カメラは登場人物たちを追って映し出すという以上に、トゥモローワールドの世界がどういった状態にあるのかをまざまざととらえ、そのディテールは精緻に構築されている。1回目見たときよりも2回目のほうが断然面白く感じられたのも、より多くのディテールに目を向ける余裕があったためであり、それぞれのショットにめちゃくちゃよく意味が詰まっていたためであります。例えば、1回目に気づかなかった点を挙げると、彼らの車が通り過ぎたあと大地に転がっている多くの木の枝のようなものが、実は牛たちを燃やしたあとだったり、荒廃した街のまだマシなところに住んでるのが元共産主義国出身の人たちで、彼らが住んでる建物が資本主義の象徴の銀行だったりとか。あと、キーがもうこれ以上無理!!!と倒れ込んで、さあ世紀の瞬間が始まるぞ、というその直前に、セオが手放すふたつのものが何であるのか、とか。いろんな意味がディテールにこめられていて、非常に見ごたえがある。そして、その後の本作最大のクライマックスは、すさまじい臨場感と緊張感! 約7分間(?)におよぶワンカットの攻防戦、その途中カメラのレンズに付着する血が更にリアリティーを高め、ぐんぐん進んでいく凄惨なアクションシーン、その果てに生命の音声が鳴り響き、訪れる神秘的しじま。僕はその音声それ自体よりも、戦う人々のそれに対する反応に涙がこみ上げました。そして、考えさせられる。なぜ人々は、何ぴとにとっても何よりも重要であるはずの生命を大事にできないのか。それ以上に重要なものがこの世に他にあろうか。みんなそのことが分かっていながら、なぜ武器を棄てることができないのか。このワンカットが明けてからの全てのシーンが、まるで本当に神話を目撃しているような、宗教的とも言える深遠なシーンの連続でした。そのすべてが行きつく先を、見たいと思いました。よく考えてみると、主人公の名セオ(Theo)って、「神」を表すことばなんですよね。しかして、本作を見ながら僕が考えていたのは、生命や、永遠や、宇宙や、言葉や、意味、それらの根底からの包括的理解なしには、本作のように種の生存という未来を剥奪されたとき、人類は究極の無明に覆われてしまう、ということでした。しかし、生存という未来がないという事実は、種全体ではないにしろ、それぞれの個人の人生を主観から見ると、万人に共通した現象でもある。そのなかで人々はどう生きるのか。自分の死以外に、自分の行く先はないこと、そして、自分の生きた痕跡は100年も経たぬうちに一瞬にしてこの世界から消え去ってしまうことは、全人類が解りきっていることなのだ。それはさておき、現実においても、先進国では子どもが凄まじいスピードで減っていってて、だんだん本作の世界が実現していっているというのは興味深過ぎる事実です。さて、最後に、2回目に見ながら、1回目と同様に感じてしまったマイナスポイントを一応書いておくと、全体的にポピュラー音楽の使い方と、どことなく浅い感じの人物描写、感情表現が、微妙に好みに合わなかったかなーということ。それぞれにもうちょっと重厚感と深みがほしかったような気がしまております。が、3回目に見たら、実はそれもすっかり馴染んで気にならなくなっているような気がしなくもない。

ちなみに前回の感想文は以下の通りとなっておりました。実はネタバレてたとこもあり、この度○に転換しました。

繁殖機能を失った人類が未来を絶望し自暴自棄になっているそう遠くない未来、ある○○に○○が○○、その子を何とか守ろうとする男を描いたハードボイルドなSFアクション。圧巻は前半のカーアクションと後半の銃撃戦の長廻し!数分に及ぶワンカットの緊張感と臨場感に吸い込まれる。全体的にかなりリアルで美しいショットが続くんだけど、個人的には音楽の雰囲気と、何となく軽い感じの人物描写が好みに合わず。もうちょっと重厚感がほしかったなーと。ただ〇〇○を目のあたりにしてみんなが一瞬争うことをやめるシーンは感動的。
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