パイルD3

鶴は翔んでゆく/戦争と貞操のパイルD3のレビュー・感想・評価

4.0
ミハイル・カラトーゾフ監督の映画、3日目ですが、現在日本で字幕付きで観られる作品は恐らくこの3本のみです。

カラトーゾフ監督編最終回、代表作とされる「鶴は翔んでゆく」は、若い恋人たちの愛にいきなり戦争が突き刺さってくる非情と周囲の人間たちのあり方を描いた反戦映画。
かなりストレートに打ち出した反戦の姿勢は、監督の強い意志が滲み出ている。

コンビを組んで3本目のこの作品でもセルゲイ・ウルセフスキーの驚異的な撮影技が炸裂しているが、開巻と同時に目の当たりにするその抒情性に満ちた感性豊かな映像は、時を経ても美観が失われることはない。

元々は「戦争と貞操」という主題に触れるような邦題だったが、いつの頃からか現在の情感漂うタイトルに変わった。
確かに、今の時代に“戦争“という文字を持ち出すより、感性を刺激する文字を並べる方が受け入れられやすいということだろう。

モスクワの朝、結婚を誓うヴェロニカ(タチアナ・サモイロワ)とボリス(アレクセイ・バターロフ)が、朝帰りする際に空を群れゆく鶴を見上げる美しいシーンから物語は始まる。

2人の婚姻目前という時に、戦争の波がモスクワにも押し寄せ、ボリスは国のために志願兵としてスターリングラードの戦線に出征する。
しかし、次第に何もかもを奪い、無意味に破壊する戦争がヴェロニカと周りの人々を苦境へと追い込んで行く…

戦下で誤った選択をしながらも、許嫁者の帰りを待ち続けるヴェロニカという女性の生き方がストーリーの焦点で、あらゆるセリフよりも彼女の表情の変化の方が遥かに状況と想いを伝えてくるほど、カメラの動きが繊細に心の中を映し出す。

この感情を伴う繊細な映像が、先述した監督のストレートな反戦姿勢を鮮烈なものにしている。
戦争はそれ自体が無意味なので、夢も希望もないものだ。
作品は一人の若い女性の揺れる心と、反立する強い信念を通して、そのことを問いかけてくる。

もちろん、戦争に答えなど無い、醜さがあるだけだ。戦争を始めるのは答えを出せない悪意ある人たちだ。しかし終わらせるのはいつも答えはひとつだと信じる勇敢な人たちだ
ただ、どちらも無意味な事に変わりはない
 
最近の戦争報道を見ているとそう思ってしまう。


【ロシア映画の時代を変えた作品として】
「鶴は翔んでゆく」は、ロシア映画初のカンヌ映画祭パルムドール受賞の快挙から、一気に世界映画市場への参画が認められるようになった先駆的作品。
この作品が反戦を唱えて以降のロシアの戦争映画には秀作が多い。

1人の兵士が褒美に休暇をもらい、一時帰郷する姿を情感豊かに見せる「誓いの休暇」(これはマイオールタイムベストに入る一本)、あまりにも残酷な殺戮の絵姿に震えすら覚えた「炎628」をはじめ、確実に記憶に刻み込まれる作品がある。





※以下は、よく知らなかったカラトーゾフ監督のことを調べた内容を、自分用の調査ノートとしてまとめた資料みたいなものですので、全然スルーしてくださいませ


【カラトーゾフ監督とソヴィエト映画】

・カラトーゾフ監督については、いろいろ探しても深い研究がされておらず情報は乏しいが、この人スターリン政権下のソヴィエトで映画監督としてはかなりの不遇を経験している。

⚫︎「批難された作家としての視点」
・デビュー当時はドキュメンタリー専門で、最初に注目された、ある農村の塩不足と厳しい生活環境を撮った「スヴァネティの塩」(30)という作品が、政府の検閲に引っ掛かり上映禁止の措置を受ける。

更に翌年の、自分の不手際から破壊事故をしでかしてしまう兵士を描く「軍靴の中の釘」が、検閲で権威への反抗的な姿勢という批難を受けて、あろうことか映画監督業を長期にわたって干されてしまう。
かくして映画芸術の多様性に不理解な当局によって、大事な才能が一時的に潰される。

⚫︎「カラトーゾフの転換期」
・終戦後、スターリン亡き後ようやく体制が変わり現場復帰するが、戦時中アメリカ大使館の文化担当官として渡米して、チマチマと祖国のプロパガンダ映画を撮らされる。
しかし、カラトーゾフは18ヶ月の渡米で大きな余禄を得た。

ソヴィエトでは絶対見ることの出来ない多数のハリウッド映画を観ることが出来たのだ。
帰国後、映画監督としての生命を再び与えられて、これ以降の作品にはハリウッド映画的な要素を注ぎ込んだ。


⚫︎「ソヴィエト宣伝映画からロシア映画へ」
『今回、3本のカラトーゾフ作品を取り上げたが、ロシア映画に限らず、海外の作品は各国の国策、政策、何やら不明の厄介な規制によって、あるいは日本のビジネス最優先の配給ベースにのせるには商業力不足という観点から、非公開になってしまうものは多い。

中でもロシア映画は、映画がプロパガンダのツールとして扱われていたスターリン政権時や冷戦前後は幾多の良質な作品が作られてはいたが、特に映画産業が確立されていた欧米で公開されることがほとんど無かった。

カラトーゾフ監督の場合、死後ではあるが、たまたま本当に面白い作品がようやく世界の発信力のある優れた映画人や識者らの目に止まり、一部ながらも50年以上の時を経て陽の目を見たということは素晴らしいことだと思う』
 
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