メガネン

幸せのちからのメガネンのレビュー・感想・評価

幸せのちから(2006年製作の映画)
3.9
原題は“the Pursuit of Happyness”。
Happinessではないところがミソで、凡そこれを意訳して邦題をつけるのは無理だったのだろう。また、そもそも「Pursuit」つまり、「追求」であって、「ちから」ではないあたりが、訳者の苦労が偲ばれる。

ストーリーは終始厳しく辛い現実をガードナー父子に突きつけてきて、それは上映時間を追うごとにどんどんその度合いを増していくのだから、観ていて堪らない気持ちになってくる。
クリストファーが大事にしていたキャプテン・アメリカの人形を落としてしまい、しかしそれをとりに引き返す余裕さえなくしてしまうほどまで追い詰められているクリスと、幼いながらもその現実を受け入れていくクリストファーの、痛切な演技に涙を誘われる。

それにしても、社会は人間を本当にギリギリまで追い詰める。
この映画は実話を基にしているとのことなので、クリス・ガードナーは確かにこの辛酸を嘗め、どん底から這い上がったのだ。
しかし、誰もがクリスのようであれるわけではないし、むしろどん底から這い出ることはおろか、最底辺の生活を維持することさえ困難な現実があることを、自分は実体験から知っている。この映画は「幸福とはそこにあるものではなく、追求(Pursuit)しなければならないものなのか?」と疑問を投げかけるが、その通りだと思う。
クリスは自らの手で現状を回復する手段を勝ち得た。しかし、そうして追求して得たのは、どうも純粋な幸せというよりも、安堵と救済による心の余裕とでも言うようなもののような気がする。試験にパスして、採用された時に流すクリスの涙は、幸福の涙というより、ホッとした時のそれだとその表情から感じられた。ホームレス生活からの脱却を具体的に達せする目処が立ったのだから当然の反応なのだが、やはり疑問に思ってしまう。果たして人はこれほど打ちのめされ、頑張り続けなければ、安堵することさえままならないものなのかと。

あるいは、それが人生なのかと。

誰もがクリスとクリストファーのように逆境にあってもそれに立ち向かう勇気とタフネスを備えている訳ではないと思うと、この映画の帰結を素直に賞賛できない自分がいることが、無性に惨めだ。

生きることは本当に難しい。
「この努力は本当に報われるのだろうか?」とクリスが自問するように、私たちもそうした不安の中でもがいている。心の平穏はそう易々と手に入らず、幸福など遥か彼方のものだ。

それが人生だというのならば、人生とはなんと過酷なものなのだろうか。

私たちはそれぞれにPursuit of Happinessせねばならないのだとしたら、そう思うとこの映画が齎したものはひどく重苦しい。