りょう

時計じかけのオレンジのりょうのレビュー・感想・評価

時計じかけのオレンジ(1971年製作の映画)
4.8
 最初に観たのは30年以上前の大学生のころで、主人公であるアレックスのイラストのポスタービジュアルが秀逸で、サントラのレコードジャケットを部屋に飾っていました。もちろん音楽も特徴的で、「雨に唄えば」のイメージが反転するインパクトがすさまじく、まったく相応しくない音楽を映画に使用することの効果を痛感しました。
 当時は暴力の印象ばかりが先行してしまい、物語の意味を理解する余裕もありませんでした。久しぶりに観ましたが、映画に登場する暴力や性的な描写に耐性ができてしまっているので、“なるほど”と思うところが少なくなかったです。
 刑事政策としては、犯罪者(前科者)の更正や矯正をどうするのか、万国共通の永遠のテーマです。それを放棄して死刑を執行することもあり得ますが、すでに究極の人権侵害でしかないので、実質的に存続させている先進国は日本とアメリカの一部だけです。アレックスが措置される矯正は、暴力への拒絶感を強制的に催させる“刷りこみ”で、神父さんが指摘していたように、人間から選択や思考を奪うことは、さまざまな自由権を過剰に侵害することになります。暴力を否定すべき理由を思考的に学習させなければ、刑事政策としては失敗します。この作品では、そのことを前提に政府の振るまいを風刺する描写が秀逸でした。
 犯罪者を収監することはコストであることに間違いありませんが、被害者の感情にも配慮した“懲罰”としての意義もあります。日本の刑務所は過剰にコストカットしているので、矯正教育を機能させるような組織体制がありません。どれが正解なのか試行錯誤をくり返すしかなさそうですが、そういう属人的な更正と犯罪機会論のような社会的な予防を重視したアプローチを複合的に措置することも指摘されています。
 社会が暴力や犯罪に“どう向きあっていくべきか”という問題提起がありながら、まったくメッセージのような描写もなく終演するこの作品は、なんだか説教臭くて特定の価値観を発信するような映画と比較すれば、それはそれでスタンリー・キューブリック監督らしい作風でした。
 ただ、当然に間違った解釈で観てしまうことも少なくないので、上映や作品そのものが批判されたことも理解できます。50年以上経っても彼の問題提起に回答できないのならば、まずは社会がこの作品に“向きあう”べきなのでしょうが…。
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