らさひの

時計じかけのオレンジのらさひののネタバレレビュー・内容・結末

時計じかけのオレンジ(1971年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

人間の本質
アレックスという凶悪な存在
それを超える国家という凶悪な存在
そして周りの人々にも凶悪な性質は存在する
自由意志を国家により奪われるアレックス
アレックスがルドヴィコ療法により治療された後に映される暴力はアレックスによる暴力と同等のものである
両親は息子を見捨てる
老人たちはアレックスを袋叩きにする
このシーンの構図はアレックスが老人を袋叩きにした時のものと同じ
一緒に悪を働いていた仲間は警官となり、何も出来ないアレックスはリンチされる
こんなやつらが国家側の権力を持っている
善意でアレックスを2度助けようとする作家
1回目は妻をレイプされ、2回目はアレックスが犯人だと気付き彼を自殺へと追い込む
アレックスを自殺へと追い込む時の様はまるでアレックスが暴力を働くときのようである
アレックスを2度も助けようとした作家ですらアレックスのような衝動を持つ
結局やっていることは同じ
これが人間の本質なのではないのだろうか

国家はアレックスから選択する意志を奪う
そのアレックスを待つものは意志を持ったものによる暴力である
意志を選択することが不可能なアレックスは何も出来ずリンチされる
アレックスは決して善を選択しているわけではなく、吐き気を催すことからも分かるように心理的な暴力性を失っている訳では無い
これが人間のあるべき姿なのだろうか
善は選択されることで善になるのではないか
国家は選択されるべき善をアレックスに与えず、暴力にまみれた世の中に、何も出来ないアレックスを放つ
国家はその政策を批判され、窮地に立たされる
再び悪を選択することができるようになったアレックスを利用し、そんな腐った国家を存続させることだけを考える
「街角でチンピラが暴れている社会のほうが、政府が自由を統制する社会よりもマシだ」

アレックスは魅力的に映し出される
ファッション、音楽のセンス
観客はモラルとアンモラルを行き来する

アレックスはエネルギーに満ちている
生のエネルギーである
イメージは勃起したペニスであろう
至る所にそのイメージは散りばめられている

アレックスはキリスト、反キリストとしても映し出される

内容も何も知らないファッション好きが何も知らないくせに評価しているという批判を目にするが、何も知らずに映像を評価するのもひとつの正しい映画の見方では?
ファッション好きには独特な感性があるだろうし、その感性が評価したものを否定するのはおかしいのではないだろうか
何も知らないとしても評価されるというのは映像としての映画が、映画が本来持つべき映像としての性質が優れていると言えるのではないだろうか

好きな映画、いいと思った映画、その理由は何にしろその事実を否定するのはいかがなものだろうか
これは自分には合わなかった映画にも言えることであり、映画を批判するのは構わないが、その映画を好きな人、好きになった理由を否定するのは違うと思う
とにかく周りを気にせず好きな映画を胸張って好きと言える自分でありたい

この映画のすごいところは全てのシーンが象徴的であり、鮮烈であり、映画史に残るべきものだと言うことだ
この映画が何を表したいのか、何が言いたいのか
確かにそれは重要かもしれないがそれを抜きにしても映像としての映画の素晴らしさが詰まっている
無駄なシーンなど一切ない
この映画の名シーンは?と聞かれたら全てと答える他ないだろう

とりあえずここまで

2022/2/10
2022/2/19
2022/8/9
ルドビコ療法を終え、過激なパフォーマンスによりルドビコ療法の目的が果たされたことが証明された際、アレックスは片方の肩を大臣の手で、もう一方を神父の手で支えられる。大臣が手を添えている時間は短く、神父はカットが変わるまで手を添え続けている。
最後は神父が手を添えていた方の肩にも大臣が手を添える
2023/7/12
らさひの

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