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市民ケーンのKICCOのネタバレレビュー・内容・結末

市民ケーン(1941年製作の映画)
2.5

このレビューはネタバレを含みます

シーンの変わり目に工夫を凝らしていて面白かった。特にまどをすり抜ける様なカメラワークはスムーズに、違和感なく取り込まれていた。
最初の妻との心の距離が空いてしまう様子のシーンの撮り方がよかった。最初は密着していて愛し合っている様子がうかがえる。その後はケーンと妻のアップが交互に映し出され、どことなく不穏な空気が感じられるが2人の距離感は明確にされていない。お互いの冷えきった表情の後、カメラが引くと長机の両極に座っているケーンと妻が映し出され離れきった心の距離がここで明確にされる。180度ルールに当てはまらない人物のアップの撮り方が良い効果をうんでいた。
全体的な印象について。終始、ケーンにはどことない寂しさを感じた。それは冒頭の親元から離れざるを得なく経緯が関係しているのか、それとも富は得られても愛は得られないからか。私はどちらもあると思う。幼い時に親元を離れたケーンは愛し方が分からないのだ。愛せない、だから愛されない。なんとも不遇なケーンの生涯に胸が締め付けられた。
「バラのつぼみ」の答えがまさかソリとは!どこかで親の愛情に飢えていたのだろうか?唯一親とのつながりがあるものがソリであり、ケーンの原点でもあるだろう。深くは描かれていないがこのソリがケーンにとって重要な役割を果たしていたのだろう。
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