あんじょーら

シン・レッド・ラインのあんじょーらのネタバレレビュー・内容・結末

シン・レッド・ライン(1998年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

太平洋戦争の激戦地、ガダルカナル島の激戦をアメリカ兵の群像劇で描いた戦争映画なのですが、とにかく映像が綺麗。ひたすらに、繰り返されるまさに天国のような自然の映像、現地の人々の生活の映像、海、木、水、光、様々なものがありのままの映像で流され、そのカットひとつひとつが胸を打ちます。このような場所で、激しい戦闘が行われたのか?を考えると非常にそのコントラストがまた鋭利に迫ってきます。


戦闘シーンは残酷であり、リアルで、そして無情な世界なのですが、その地の自然の美しさの中で行われるので、余計に愚かしさが増します。戦闘に関する詳しいことは分からないのですが、有名な「プライベート・ライアン」の冒頭の戦闘シーンとはまた違ったリアルを感じさせます。「プライベート・ライアン」の場合は明らかにハンディカメラの映像の存在に慣れた為の一兵士の視線での(ブレによる)臨場感に感じますが、「シン・レッド・ライン」は神の目線ともいうべき普遍的な映画のカメラ視線だと感じました。樹はどこまでも純粋に樹であり、風になびく草には戦闘も関係なく風にゆらぎ、土までもが今できたばかりの新鮮さあるように見える世界で、戦闘が起こり、人が死んでいきます。


隊から逃避したことをとがめられ(現地人との生活に喜びを、光を感じる)るが、頼もしくも腐れ縁のようなウェルシュ軍曹(ショーン・ペン)に除隊ではなく担架兵(負傷者を運ぶ役目)として配属させられるウィット(ジム・カヴィーゼル)。ウィットの飄々とした、哲学的現実解釈(しかし、だからこそただのおき楽に見える)が気になっているウェルシュ軍曹は歴戦のツワモノ。数々の戦場を生き延びてきた隊の誰からも頼られる男。しかしウェルシュの上官である中隊長のスターロス大尉は弁護士上がりでどちらかといえば穏便派、さらに上官のトール中佐は強行な恩賞を焦る中年中佐です。その他残してきた妻が気になっているもの、短気な兵、神経質になっている新兵、老練なもの、様々な人々の思惑を感じさせながら、なおかつ非常に神秘的とも言える美しい自然を交えながら、ついに上陸してある丘の占拠を目指すC中隊ですが、その丘の上には日本軍が作る強固なトーチカがあり、その占拠にあたって激しい戦闘が繰り広がられます。ついには同じ軍の中で意見が割れていくのですが...という感じで淡々とすすんで行く3時間近くの大作です。


どうしようもなく、どうにもならない戦闘シーンと、本当にありのままであってしかも受け手の心が純粋に洗われるような自然の(もちろん人や動物を含む自然)美しさを、ほとんど同列(実際に傷ついてはいないが、ということでほとんど同列、という表現にさせていただきました)に扱うことでそれぞれ見る側に考えさせられる強制力をもって迫ってきます。



とにかく映像の綺麗さ、自然に対するこだわり、そしておそらくこの言い切ってしまって良い『楽園』で、凄惨な戦闘があったのか?と考えると、非常に愚かに感じさせます。とにかく丘の場面も、続く河の場面も、どうしようもないくらいに美しく、ヒロガリがあり、水の描写にいたっては私の考える最高の映像であるタルコフスキーを越えているようにさえ感じました。植物も、動物も、虫も、生き物全てや無機質であるはずの河の石や、水、そして光までもが愛しくさせる感情を呼び起こす映像で、素晴らしいです。だからこそ、どこまでも続く戦争のぬかるみや、人の営みである妻との関係のシーンの回想まで、何もかもに焦点が合い過ぎるくらいで、その感情が呼び起こされるのだと思います。


日本人側も、必要以上にディフォルメされているようには感じませんでしたが、あくまでこれは映画ですので、極端な表現があっても、それを受け手に不自然に感じさせない強さ、チカラ、納得させうるまで引き込んでいるならば、説得力があるならば、私は構わない表現の仕方という手段と考えますし、この作品では違和感無かったと思います。


戦争ものに興味がある方に、自然とは何か?に興味がある方にオススメ致します。



アテンションプリーズ

何箇所か、どうしてもネタバレをしてでも絶賛しておきたい部分があって、最後にネタバレありです。





























それは鳥の雛のシーンの使い方が強烈に上手い、と私は感じた、ということと、はたしてウィットの見た、感じた世界は、私や今生きている人が到達することが出来る世界なのだろうか?ということです。彼がいわゆる殉死を遂げることで超人的、稀有な存在にしてしまった感じが強すぎないだろうか?ということです。どうしようもなくキリスト教的な見解に寄り過ぎてはいないか?が多少気になった部分です。