Jeffrey

ルナ・パパのJeffreyのレビュー・感想・評価

ルナ・パパ(1999年製作の映画)
3.5
「ルナ・パパ」

冒頭、タジキスタンの小さな村、ファル・ホール。女優を夢見る17歳の少女、アフガン戦争の後遺症を負った兄、父親との3人暮らし。空から牛、偵察隊、シェイクスピア、ロシア人操縦士、不思議な森、影の人物、胎児。今、紛争地帯のファンタジーが始まる…本作はバフティヤル・フドイナザーロフ監督がイラクリ・クヴィリカーゼの原作を映画化したもので、1999年に独、豪、日、露、仏、瑞、タジギスタン。ウズベキスタンの8カ国合作の幻想喜劇で、東京国際映画祭で上映され、最優秀芸術貢献賞を受賞した傑作である。この度、DVDを購入して久々に鑑賞したが面白い。モーリッツ・ブライプトロイが出演している映画の中でも相当好きな1本。確か中谷美紀やおすぎが素晴らしい映画と絶賛しており、フドイナザーロフの前作のこれまた大傑作の「コシュ・バ・コシュ 恋はロープウェイに乗って」も最高に好きなのだが、これはVHSしか未だにないのがありえない状況である。一刻も早くソフト化しないと大損失だ。

さて、物語はタジキスタンの小さな村、ファル・ホール。女優を夢見る17歳のマムラカットは、うさぎの農場を営む父サファールと、アフガン戦争の後遺症を負った兄ナスレディンと共に暮らしている。地雷で怪我をし精神を病んだ兄に言葉を回復させようとしたり、彼を馬鹿にする村人から叱ったり、友人のスベーのカフェを手伝いながら人気俳優の噂話をしたり、それが彼女の毎日だ。ある日3人には、ウサギを売りに行く途中、戦車に乗る偵察隊の尋問に捕まってしまい、村へ戻る時間が遅くなってしまった。マムラカットはその日、村にやってくる劇団のシェイクスピア劇を見るのを楽しみにしていたのだ。途中でサファールは物売りの船頭からマムラカットに白いワンピースを買い与える。彼女はそれを着ると、車の屋根の上で美しい踊りを披露するのだった。

そして父は、気をもむ彼女を車より早く村につきそうなその船に乗せる。一方、劇団員を乗せた飛行機のロシア人操縦士も、ファル・ホールへの飛行中に緊急着陸して、人妻との昼下がりの情事を楽しんでいる。やっと村に戻ったマムラカットは劇場に駆けつけるが、すでに舞台は終わっていた。がっかりした彼女は、舞台女優のようにセリフを口にしながら劇場を出ていき、やがて森の中へと引き込まれていく。すると暗闇から彼女に声をかける影が現れる。影は彼女に君の演技は素晴らしい、天才的だと囁く。そして自分は今回の舞台俳優で、有名俳優トップクルーズとも知り合いなんだよと囁き続ける。やがて森は行き止まり、彼女は崖から滑り落ちてしまう。まるでアリスが穴に落ちていくように落ちる彼女の体に、初めはつる草が、やがて男の手が絡んで行く。こうして彼女は青い月の光に照らされながら影の男と結ばれるのだった。

一方その頃、父と腕相撲をしていたナスレディンは、父に負けた瞬間、マムラカットに悪いことが起きたと直感する。次の日の朝早く、崖下の水辺でマムラカットは目を覚める。せっかく買ってもらった白いドレスも汚れている。呆然とする彼女を見つめるのは、彼女のお腹に誕生した新しい命、カビブラである。もちろんマムラカットは自分が妊娠していることにまだ気づいていない。昨夜の出来事を親友のスベーに話した彼女は、今夜一緒に飛ぼうと影の男に言われたことを思い出して飛行場に駆けつけたが、劇団の飛行機は旅立ったところだった。スイカの衣装をつけたマムラカットは、村の収穫祭の舞台の上で楽しく踊っていたが、急に気分が悪くなり倒れてしまう。次第に自分の体の変化に気づいていくマムラカット。一方、市場では、牛二頭と交換に娘を嫁にくれと言う村の金持ちの申し出を断固としてはねつけるサファールの姿があった。

意を決したマムラカットは、スベーと共に隣村の医者を訪ね堕児しようとする。いざ手術と言う段になって、医者はソーダ水を買いに外に出るとそこにゲリラがやってきて銃撃戦の流れ弾に当たってしまう。赤ん坊は生めと言い残し、あっけなく死んでしまった老医師を置いて、マムラカットとスベーは戦火に覆われた村を後にする。赤ん坊を産む選択しかなかった彼女は、ついに父親に告白する決心をする。サファールの怒りは凄まじく、誰も抑えることができない。そして彼は、早くに亡くなった妻の墓前でお前の傍に行きたいと穴を掘って頭を突っ込むのだった。このままでは大変なことになると親子3人はマムラカットを妊娠させた男を探す旅に出ることにする。まずは演出家を絞り上げて数名の俳優の名前を聞き出し、サマルカンドや別の街の劇場に繰り出す。

劇場では舞台に酔いしれるマムラカットと対照的に眠りこけるナスレディン、サファールの姿があった。結局、騒ぎを起こすばかりで影の男が見つからない。ある日のこと、献血車が5ドルで採血しているのを知ると、マムラカットは出費続きの家計を助けるために採決を頼み、ドクターと知り合いになる。しかし献血車は不法売血のため警察に追われ、ドクターは困り果てたマムラカットにお金を渡して別れを告げるのだった。謎の男探しの旅は続く。またある日、例の飛行機がガス欠で不時着陸しているところにである。しかし乗客が劇団員ではなかった。ただ操縦士は前と同じロシア人で、しかもマムラカットが祭りで踊っていたことを何故か覚えていたのだった。日毎に彼女のお腹は大きくなっていた。それと同時に村人の嫌がらせがエスカレートしていく。

スベーのカフェには客が寄り付かず、窓ガラスまで割られる始末。街に出るとマムラカットは老女達から売女とののしられ、少年たちはスイカ女とはやし立て、子供までもが水鉄砲で追いかけてくる。あまりの辛さに彼女は怪しい女祈祷師のもとを訪れて再度堕児を試みようとする。しかし釜ゆで寸前の所で父と兄が魔女の家に乗り込んできて、マムラカットを助けだすのだった。そして父親を探せば問題ないんだとサファールは娘を元気付ける。ところが俳優リストの4番目の男を探しに戦場にまで乗り込んだ父たちが、しばらくして誘拐同然に連れてきた男は、なんと有名な歌手。あてにならない2人を残し、マムラカットは1人で列車に乗って影の男を探しに出る。一方あのロシア人操縦士は、飛行機から見下ろした羊を盗む術を会得していた。

列車の中で、マムラカットは偶然ドクターと再会。カード賭博で追い詰められたドクターはギャングたちから殺される寸前のところで、マムラカットの機転で助けられる。ドアから投げ出されたドクターの後を追って、彼の元へ駆けつける彼女だったが、ふと我に帰って将来を嘆き貨物列車に飛び込もうとする。それを止めるドクター。すると彼女は突然産気づいてしまう。ドクターがお腹の子にこんな草むらじゃなくて、父親が持つ病院で生まれようと優しく声をかけると産気はおさまった。しかし彼女は父親と言う言葉に反応して、この子に父親はいないのよと再び列車に飛び込もうとし、慌てたドクターはつい僕げ父親になるよと叫んで、 マムラカットを止めるのだった。ドクターことアリクを探し当てたマムラカットは意気揚々と村に帰ってきた。お腹のガビブラからの報告通りママは恋に落ちていたのだ。まずは母親の墓に報告、そして難関と思われた父親も気に入った、息子よとアリクの肩を抱くのだった。

ある日、マムラカットはアリクに正式なプロポーズの言葉をねだる。それに応えようと2階のテラスによじ登って美しい花を取ろうとしたアリクは、電気工事の線に触れて感電してしまう。電気を体から放出するために砂浜に埋められたアリクは、そこでマムラカットにやっとプロポーズを果たした。2人で幸せになろうと言うアリクの言葉に感激する彼女。いよいよ2人の結婚式の日である。ところがナスレディンは妹の結婚式にも関わらず悪魔と戦うと言って空を指差して村中を走り回っている。彼抜きの式が船上で華々しく行われ、サファールとアリクが腕を組んで親子の契りを交わそうとした時、突然、空から大きな物体が落ちてきた。その物体はなんと牛だった。2人はそのまま海に転落し、喜びに湧く結婚式は一転して帰らの人のための葬儀となるのだった。

打ちひしがれるマムラカットは、スベーのカフェでぼんやりと働くだけ。ある日、例のロシア人操縦士がロックバンドを連れてまたこの村やってきた。操縦士たちはカフェで、牛を3頭飛行機で運んだときの出来事を面白おかしく話始める。飛行機が大揺れに揺れたので、牛追いと飛行機から落としたと言うのだ。その話を耳にした彼女は呆然とする。一方彼女をじっと見て、思い詰めたような表情を見せる操縦士。マムラカットはいきなり皿を投げ出してカフェを飛び出すのだった。彼女の後を追って彼女の家にたどり着いた操縦士は、殺気たったマムラカットに僕だよ、あの俳優だよとあの月の晩のことを話し始める。その話に余計混乱した彼女は操縦士にピストルを向けると操縦士は一緒に暮らそう、お腹の子にはブロシェキンと僕の名前をつけてくれと叫びながら逃げ惑う。

彼女はピストルを爆発し続け、そこに現れたナスレディンも操縦士を見て悪魔だと言って一緒に攻め立てる。堪えきれなくなった操縦士はキャビネットの上にまで逃げるが、突然落ちてしまう。てっきり弾が当たったのだと思った2人が操縦士に近づくと彼はいびきをかいていた。恐怖のあまり昏睡状態に陥ったのだ。操縦士はそのまま目を覚まさず寝たきりになった。村人のいじめがまた始まった。寝たきりのままで操縦士を列車で運送させようとするマムラカットとナスレディンに、村人はなぜ結婚しない、結婚しろと責め立てる。彼を愛していないと言うマムラカットに、そんな事は関係ないとさらに攻める村人たち。どんどん膨れ上がる民衆から逃げ惑う2人。そして家の屋上に彼女を逃したナスレディンは、思いっきりレバーを引く。すると天井の風船機をプロペラ代わりにして家の屋根だけが外れ、それは飛行船のようにゆったりと空に飛び立つのだった。

意地悪な村人、人間の顔をした悪魔からどんどん遠ざかっていくマムラカット。下ではナスレディンがまぶしそうに空を見上げている。やがてカビブラの声が聞こえてきた。もうそろそろ外に出る頃だわと…とがっつり説明するとこんな感じで、青い月の夜に主人公の少女がアリスの様に崖を転げ落ちると何者かに妊娠されてしまって、古い習慣が支配する村社会の中で、人々に侮蔑され、差別されていきながら、さらに後遺症を持つ兄さんがいて、勇気と自尊心を忘れない彼女の孤立と謎のその男を探す旅に出るって言うファンタジー映画である。正直中央アジアの小さな国を舞台にここまでシャガールの絵のような美しい愛のファンタジーを描ききった監督に拍手喝采を送りたい。こんなおとぎ話のようで、国境地帯が美しくも幻想的に描写されるのがたまらなく良かった。蜃気楼のように砂漠に浮かび上がるかのような風景は本当に夢心地である。

多分このロケ地実際の内戦地帯だったと思うんだが、彼女の名前マムラカットって要するに国家って言う意味で、様々な辛い時代を乗り越えていく人間の希望が託されていると言う意味合いがありそうな気がする。映画を見ればわかるがそういった流れである。傷つきながらも再生しようとする中央アジアの国々の今が写し出され、対照的に輸送飛行機のロシア人パイロットには、小さな国々を無神経に踏みにじっていく大国の影が感じ取れるように描かれているとイントロダクションにある様に、または兄貴がアフガン戦争の後遺症を負っている姿を見て分かるように、そういった小さな国の苦しみをファンタジーと言うカテゴリーからうまくメッセージ性を放った詩情あふれる豊かな映像作品である。どうなんだろうか、この作品は一体何を伝えたかったのかといろいろ考えると、まずアフガニスタン戦争で後遺症に苦しむ精神を病んだ兄貴を持つ家族で、さらに母親を早く亡くしてしまって男1人で子供2人を育ててきたと言う父のいる家庭の困難さの状況がまじまじと写し出されるのだが、こういった紛争地帯で日常的にゲリラの銃撃戦が行われるような生命の危機にさらけ出されるギリギリの日々を過ごしている中でもここまで懸命に力強く仲良く協力し合い生きていると言うのをこういった戦争で家族が崩壊された方々に少なからず笑って欲しいと言う、元気を出してほしい、自分たちの災難で世界全部毒だと思わないで欲しいと言うような意味合いの演出が見て取れた(個人的には)。

だからあどけなさを残す少女の胎内に宿った新たな生命がそういった打ちのめされた家族の希望のシンボリックなものとして描かれているんじゃないだろうか。そもそもこの作品で最も重要なイメージとして提示されているのはなんといってもモノローグの存在であるマムラカットの赤子であるガビブラであるし。これを言うとネタバレになるからあまり言いたくは無いのだが、だからクライマックスで屋根が空高く飛ぶと言うのはこの戦争に満ちた地上でたくさんの命を奪われた世界の数多くある家族の人々が、これ以上戦争に関わることのない絶対安心のできる領土…それが空へと広がるものだんじゃないだろうか。マムラカットは今新たな生命と絶対安全な空へと旅立ったのである。しかしながら空はいつも晴れているとは限らないし、雨を降らす時もあれば風の強い時もあるだろう。こういった困難がある中、どう生きていくのかを我々観客に考えさせてくれた映画だと思う。



いゃ〜、やはりクライマックスの空から牛が降ってきてしまう場面が事実に基づいていると言うのを聞かされるとびっくりする。大きな雄牛を盗んだ飛行機のクルーが、暴れ始めた牛に手を焼いて飛行機から投げ捨てたところ、それが1万5千フィートの上空からカスピ海に浮かんだ小さな漁船を直撃し、船ごと沈んでしまうと言う話をそのまま映画に挿入している。この事故で生き残ったのは妊娠した娘たった1人だったそうだ。彼女は予期せぬ災難によって、夫と兄とそして父親までも失ったのである。この作品はとにかく不思議である。なんともファンタスティックな映画で美しく素晴らしい。素朴な美貌が絵になるチュルパン・ハマートヴァが可愛らしい。「ツバル」に出てる彼女も最高だ。冒頭の馬の疾走から迫力があり、まさかの男の子のナレーションで始まる。そしてブライプトロイ演じるナスレディンが飛行機の物真似で登場するのも面白い。久々に見たけどやっぱり面白いし高画質で見たいからブルーレイでぜひ発売してほしい。あと「少年,機関車に乗る」もさっさとVHSから円盤化してほしい。あの夜道の森の崖を滑り落ちてしまっているときの撮影の仕方どうやってやってるんだろう、すげえファンタジック。地政学的にすごい有利な映画だなと思う。ほんとに異世界見ているような感じ。空から牛は飛んでくるし、クライマックスはもうありえない終わり方をする…なんだかクストリッツァ映画っぽさもある。

それにしても26歳で長編デビュー作の「少年、機関車に乗る」を撮ってその2年後の93年でベネチアで銀獅子を見事に受賞した「コシュ・バ・コシュ」にしろ、一つ一つが丁寧に作られ、どれもが水準が高く名作である。例えば前者の作品では、2人の兄弟が父に会うために機関車に乗って中央アジアの大平原を旅するレール・ロード・ムービーであり、後者の作品は内戦下を舞台に、モスクワ出身の女性とタジキスタンの保守的な社会で育った青年とのぎこちなくもみずみずしいラブストーリーを描いていて、本作では、世界から忘れられたような小さな村を舞台にした愛と勇気の物語を描いている。この3本にはいくつかの共通点がある。例えば舞台であったり、機関車が出てきたり、内戦下(戦争や紛争)だったりと。この作品は少なくても3台のカメラを駆使して撮影が行われているので、カメラクルーも最高のスタッフを揃えているんだと思う。

とりあえずこの作品は色々とありえない出来事がふんだんに起こるのだが、それは全て奇跡と捉えていいのかもしれない。そもそもこの監督は主人公の女性を母へと寄せているような気がするし、もっと簡単に言うと母性像である。そうした中の奇想天外なストーリーをと未知との遭遇もしくは楽天主義、魔法のような出来事が矢継ぎ早に起こるのだ。そして最初から姿が現れない彼女の子供のモノローグで大団円まで持っていくお伽話である。そもそもタジキスタンと言うのは一体全体どこにあるのだろうと大抵の日本人はわからないと思う。人口600万人の小国であり、ユーラシア大陸のへその位置にあるパミール高原に広がるタジキスタンには、まず村なんてほとんどないだろうし、北海道と東北を合わせたよりも小さな国土の半分は、標高3000メートル以上の山地なのだから。タジキスタン共和国は面積が日本の約40%と言う小さな国で、国土の70%は世界の屋根=パミール高原を含む山岳地帯である。軽度は日本とほぼ同じだが、気候は乾燥しており砂漠が多いらしく、農業や牧畜が盛んで、収穫祭を楽しむ人々が本作にも登場するが、それらは主な輸出品の1つとなっている。特に綿花とか。



今思えば、この作品が日本の協力で合作されているのも、98年7月に起きた秋野豊さんを含む国連監視団関係者4人が殺されると言う痛ましい事件が脳裏に蘇るのだが、反対派武装勢力の国軍への編入や武装解除が進められ、99年7月が武装解除のデッドラインとなっていたが、東部を拠点としていたウズベク人武装勢力はこれに応じず、隣国のクルグズスタン(キルギス)に侵入して、日本人技師4人を含む人質にとった事件も記憶に新しいとまでは言わないが、日本が2度も大きな事件に巻き込まれたと言う事柄を記憶する人は少なからずいるだろう。これがきっかけにより、中央アジアは危険な地域だと言うイメージが日本人の中で広まってしまったこともある。先程言った秋野豊氏射殺事件と翌年のキルギスにおける日本人鉱山技師人質事件と言うのは、旧ソ連の崩壊後、これらの国々では共産党勢力とイスラム反政府組織との間に内戦が続いていて、キルギスタンにおいても、内戦によって5万人の死者と80万人の難民を出し、社会的経済的に大きな後遺症となっていたと確かプロダクションノートか何かに載っていたような気がする。

内戦の苦い現実は、監督の前作でも赤裸々だったし、夜間の銃撃戦やパトロールといったシーンに現れ、今回の「ルナ・パパ」でも、戦車やゲリラの登場によって垣間見ることができると言われている。そういえば中央アジアの旧ソ連民族共和国の中で、カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、トルクメニスタンがトルコ系民族であるのに、タジキスタンは唯一イラン系民族であることに気づかされる。宗教は他の諸民族と同じイスラム教スンナ派(イランはシーア派)だが、イスラム教は偶像崇拝を禁じているため、映画や絵画などの芸術が花開くのはロシア革命以降の事だったし、タジキスタンに初の撮影スタジオが創設されたのは1930年だし、30年代末期にはスターリンによる厳粛の嵐が巻き起こり、タジキスタン映画も停滞する。そして55年にスターリン批判とともに第二期の幕開け。そうした中スタイルやテーマが多様化したのが60年代後半で、第3期が訪れる。そして80年代後半、いわゆるペレストロイカを機に若手監督が頭角を現し、第4期が始まると言う歴史である。最後に余談な豆知識である。この作品は好き嫌いが分かれる可能性はあるが、好意的に持つ人の方が多いと思われる。まだ未見の方はお勧めできる。
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