Jeffrey

明日へのチケットのJeffreyのレビュー・感想・評価

明日へのチケット(2005年製作の映画)
4.0
「明日へのチケット」

〜最初に一言、イラン、イタリア、イギリスを代表する映画監督3人が初のオムニバス映画を撮った記念碑的ワン・シチュエーション人間ドラマである。個人的にはセルティック・フットボール・クラブのファンの自分にとってはケン・ローチのクライマックスを飾る作品で、若者たちのユニフォームを見て最高の興奮を覚える〜

冒頭、ローマへ向かう国際列車に乗り込んだ様々な人種と階級の人々。初老の教授、未亡人と無気力な青年、スコットランドからチャンピオンズリーグ観戦に来たセルティック・サポーターの3人の若者。今、難民問題を考える…本作は「木靴の樹」「桜桃の味」「麦の穂をゆらす風」(ローチの場合は後にわたしは、ダニエル・ブレイクで2度目のパルムドールを受賞している)で、カンヌ国際映画祭最高賞のパルムドールを受賞しているエルマンノ・オルミ、アッバス・キアロスタミ、ケン・ローチら3人の名匠がオムニバス形式で、ヒューマンドラマを撮った2005年のイギリス・イタリア合作映画で、主演の1人のサッカー青年は、ローチ監督の「SWEET SIXTEEN」の主演を務めたマーティン・コムストンである。この度DVDにて久々に鑑賞したが傑作。ローマ行きの特急列車に偶然乗り合わせた、人種も階級も異なる人々の人生模様が映り、3つのエピソードが互いに重なり合う1本の長編作品である。

これほどまでにローマへと向かう国際列車を舞台にしただけで感動を作り出すこの3巨匠が、偶然乗り合わせた人々の1枚のチケットから始まる、様々な人生の可能性と希望を描いたこのオムニバス映画は、まさしく奇跡のコラボレーションと謳い文句があるように、それぞれの物語をつながりのある1つの作品に織り上げ、世界中を感動の渦に巻き込まれせた共同長編映画の傑作だろう。78年にオルミが、97年にキアロスタミが、そして06年にローチがパルムドールを受賞してから、約30年から40年の長きにわたり世界中の映画ファンのみならず作り手からも愛され、そして尊敬されてきた3人が、独立したエピソードを1本につないだオムニバス形式ではなく、同じ舞台背景、重なり合う登場人物で互いの物語につながりを持つ、まったく新しい映画を作り上げてくれた。

それは脚本の段階からお互いがアイディアを出し合い、それぞれの乗車券から始まる3つの物語を巧みに織り上げた作品で、3人が共鳴しあいながらも、独自のスタイルを溢れさせる映画の醍醐味と、愛を知り孤独を知っている真に優れた映画監督の深い眼差しがなければ描けなかったと個人的には思うが、かけがえのない人生の滋味と希望、そして溢れる喜びがこの映画1本にある。この映画は面白いことに、冒頭のオーストリア西部のインスブルックと言うのは、冬季オリンピックが行われたことで有名な街で、さらに言うとヨーロッパの東西と南北を結ぶ幹線が交差する鉄道のジャンクションでもあるのだ。ケン・ローチが作った第3話目の作品のサッカー青年の1人を演じたマーティン・コムストンは、もともと地元のグリーンノックのサッカーチームの選手で、本格的にプロを目指していたが、ケン・ローチの作品に出ることをきっかけに役者の道へ進んだのは有名な話だ。前置きはこの辺にして物語を説明していきたいと思う。


さて、物語はインスブルック駅。テロ対策の警備のためにすべての電車が遅れ、構内には疲れ気味の人々が溢れ騒然とした雰囲気になっていた。やっとローマ行きの列車の出発準備が整い乗車を始めたが、列車内は様々な人種等様々な階級の人々でごった返していた。ここから1枚目のチケットの物語である。監督はエルマンノ・オルミである。初老の大学教授は、オーストリアへの出張からローマに帰る飛行機が全便欠航のため、仕事相手のオーストリア企業の秘書に便宜を図ってもらい、インスブルックからの列車で帰ることになる。彼女との待ち合わせに遅れて駅に着くと、構内には人が溢れていた。テロ対策の警備のために出発が1時間遅れると言うことで乗り遅れずに済んだが、教授はたった1人の孫息子の誕生パーティーの時間までにローマに戻れるのだろうかと不安に思っていた。

やっと彼女と落合い彼女は教授に乗車券を差し出す。知性と美しさに溢れたその女性は、指定席が全て売り切れている中で教授がずっと座っていられるように、食堂車の予約権を2枚取ってくれていたのだ。列車の出発を待つ間、2人の会話は弾んで行く。彼女の忠実で自由な人間性に触れ、やがて教授は自分が彼女に魅了されていることに気づく。目線のかすかな交わり合い、誘いかけるような仕草。2人の親密さが深まっていく。しかし彼は出発しなければならない。列車の準備が整ったのだ。車内で一人きりになった教授は、彼女に思いを馳せている自分に気がつく。いつもなら移動時間にもパソコンで仕事を続けていたが、彼女にメールを書いてみようと思いつく。しかし書き出したからどう言葉をつなげていいのかわからず、なかなか文章は進まない。

ふと窓に目をやればそこには自分の姿が映り込むが、やがてそこに初恋の少女が重なってゆく。あの少女が弾いていたショパン。耳をすませば、そこにショパンの楽譜を手にヘッドホンで聴いている乗客の姿がある。初恋の少女の黒髪、ショパンのピアノ曲。そしてまるで白日夢のように、自分があの美しい女性と食事をしている姿を思い浮かべる。こんな思いを巡らせたのは、いつのことだっただろうか。現実に戻った教授は積荷なか挟まれるかのように、混み合う通路に腰を下ろしているアルバニア移民らしき家族に目を止める。幼児がお腹を空かせて泣いている。母親がミルクを作って飲ませようとするが、その時通りかかった警備の軍人が過ってミルクを蹴散らし、幼児の鳴き声はいっそう大きくなる。

軍人は謝りもせず、逆に通路からの立ち退きを命令する。その光景を見つめていた教授は、自分が書き綴っていた彼女へのメールを躊躇しながらも消去してしまう。そして決心したかのように給仕に何かを注文した。しばらくして教授の前には温かなミルクが置かれ、彼はそのミルクを持って立ち上がると、他の乗客の視線が集まる中を移民家族の方へと向かった。続いて、二枚目のチケット、監督はアッバス・キアロスタミである。翌朝列車はイタリアの小さな駅に停車する。列車を乗り換える移民家族たちとともに、太った中年女性が、息子のような年齢の青年を連れて列車に乗り込む。青年はフィリッポ。兵役の代替わりとして、将軍の未亡人である女性の手助けをするよう割り当てられたのだ。

まだ25歳だが、若々しい覇気は感じられない。厳しい訓練をするよりも将軍夫人に使える方が楽だろうし、何か良い目に会うことがあるかもしれないと言う位の考えだったが、今では彼女の傲慢さにうんざりしていた。今日は将軍の1周忌の墓参りに向かう夫人のお供だった。夫人は席を探して混み合った車内を押しのけるように強引に進んでいくと、1等車でついに空席を2つ見つける。自分たちの乗車券は2等車だと言う青年の意見などをお構いなく、女性はゆうむを言わせずそこに腰を落ち着けると、青年に荷物の整理を命じ、容赦なく独裁的な睨みを利かせる。フィリッポがトイレに行くと夫人は携帯電話で話し始めるが、すぐに見知らぬ男性がやってきて、それは自分が席に置いておいた携帯電話だと話しかけられる。

夫人は無視して話し続けるが、男は引き下がらず電話を切った夫人と口論になり収拾がつかなくなる。男は通り掛かった車掌に仲裁を申し出て、この見知らぬ女が私の座席で携帯電話を勝手に使い、しかもそれを自分のだと言い張って返そうとしないとまくし立てるが、夫人は全く意味介さない。車掌のアイディアで男の携帯電話番号を聞いてかけてみると、なんとその1つ後ろの席に置いてある上着のポケットから呼び出しの音楽が鳴り始めた。男が1つ席を間違えていたのだ。次の駅から乗車した2人のビジネスマンは、自分たちの席に中年女性が座っているのを見て困惑してしまう。女性は自分の乗車券を見せようとせず、長い議論の末また車掌が呼ばれる。やっと乗車券を確認すると2等車であることが判明するが、夫人は恐縮するどころか体の調子が悪いから絶対に席の動かないと言い放った。

車掌は平和を保つために、夫人とフィリッポを1等車の空いている個室へと案内する。フィリッポは夫人が薬を飲むための水を取りに行くと、偶然にも同郷の少女2人と出くわす。そのうちの1人と話が弾み、彼が昔付き合っていた女の子が今はローマの病院で働いていることがわかる。昔のことを話しているうちに彼の胸の中には、あの頃の情熱を持って生きていた自分が浮かんできた。そして彼には何か複雑な家庭の事情もあるようだった。フィリップはもう少し少女と話したかったが、夫人の意地悪で甲高い怒鳴り声に邪魔されてしまう。フィリッポ!フィリッポ!コーヒーが欲しいわ!、フィリッポ!フィリッポ!こっちへ来て着替えるのを手伝ってちょうだい!フィリッポが着替えを必死で手伝う間中、彼女はわめき散らす。そんな毒舌が度を超えた時、彼の心の中で何かが崩れ落ちた。

彼はついに夫人に口答えをし、自分の荷物を持って夫人の前から姿を消してしまった。夫人は必死に彼を探すが、どの車両を探しても彼を見つけることができない。やがて目的の駅に電車が到着する。彼女は1人でたくさんの荷物を下ろさなければならなかったが、その時手を貸してくれたのはあの携帯電話の男だった。彼女は列車を降りプラットホームで自分のトランクに座ってフィリッポが現れるのを待ったが、列車は走り出し1人取り残されてしまう…。続いて、三枚目のチケット監督はケン・ローチである。その頃、列車内のビュッフェでは、スコットランドからやってきたスーパーマーケットの店員仲間である3人、ジェムシーとフランクとスペースマンが旅を楽しんでいた。彼らの愛するサッカーチーム、セルティックF.Cが、人生で初めてチャンピオンズリーグの準々決勝に進出するのだ。

ローマで行われる歴史的な試合、対A.Sローマのアウェー戦の入場券と列車の乗車券を買うために少ない給料から3人で積み立てをして、ようやく旅に出たのだ。ビュッフェ車両で職場のスーパーマーケットで仕入れたサンドイッチを食べていると、マンチェスターユナイテッドのベッカムのユニフォームを着た少年を見つける。サンドイッチを少し分けてあげると、少年は自分がアルバニアの出身でローマに働きに出た父親に会うために家族でやってきたのだと言う。彼らがサッカーに対する愛情を分かち合う仲間になるのに、たいした時間はかからなかった。ジェムシーが財布に入れた試合の入場券を少年に誇らしげに見せびらかしていると、通り掛かった車掌が床に置いた荷物につまずいて転びそうになり一悶着が起こった。

その後少年は席に戻っていったが、持ち帰ったサンドイッチを少年の姉や祖母、母親たちが分け合って食べているの見た人の良いスペースマンは、まだ残っていたサンドイッチを全部家族にあげてしまった。3人は隣の席の女の子たちに話しかけてふざけて騒ぎ、相変わらず旅の興奮を満喫していたが、車掌が検札に来ると雰囲気が一変する。ジェムシーの乗車券だけ見当たらないのだ。彼はあらゆる場所を探すがどこにもない。乗車券はきちんと買った、必ず持っていると説明するが車掌は信用してくれない。今すぐ乗車券を見せるか、新しい乗車券代と罰則金を払うかの2つに1つ。どちらもできないならローマで警察に引き渡すと迫る車掌。3人にお金の余裕は無い。フランクはお前がアルバニアの少年に試合の入場券を見せている時、車掌と揉めている隙にあの少年が乗車券を盗んだんじゃないか?と言い始めた。

少年を信じるジェムシー、どっちつかずのスペースマン。長い口論の末に3人はついにあの一家と対峙することに。彼らの乗車券を確認すると、姉のバックから消えた乗車券が出てきた。3人が車掌に言いに行こうとすると、姉が彼らを止めに入った。彼女は弟がチケットを盗んだ事実は認めるが、どうしようもない事情があったのだと、その理由を切々と訴え始めた。そしてローマでの父親との再会は、自分たち家族の生死を分ける問題なのだ、と彼女は言う。もし今捕まってしまったら、彼らはアルバニアに送り返され、家族は永遠に離れ離れになってしまうのだと。3人は混乱してどうしたらいいか分からなくなってしまう。彼女は本当のことを言っているのだろうか?自分たちが初めて目のあたりにした難民の問題を無視しても良いのか?彼らは悩みそしてローマが近づくにつれて焦り始めた。

そして…とがっつりに説明するとこんな感じで、ローマへと向かう特急列車に乗り込んだ様々な人種と階級の人々。そこで描かれるのは彼らが手にした1枚の乗車券がもたらす悲しみ、不安、残酷さ、不平等、そしてそれでもなお失われない愛と希望の物語を描いた傑作である。悪天候のために飛行機を諦めてインスブルックから列車でローマに帰る羽目になった初老の大学教授は、予期せぬ心のときめきに出会いその思いをきっかけに、これまでの自分なら考えられないような1つの行動をとる。何の目的も見つけられずに流されながら生きている青年は、自分自身と真摯に向き合うことでやっと未来へと目を向けるようになる。長い間わがままで自分勝手に生きているある中年女性は、人生は誰にも譲らずに1人で歩いていかなければならないことを思い知らされる。

そして夢にまで見たサッカーチャンピオンズ・リーグの試合を見るためにスコットランドのグラスゴーからやってきたセルティックサポーターの3人の若者たち。彼らもまた自分たちがしっかり世界とつながっていることを知り、限りない未来への可能性を見つけ出す。そして偶然巡り会った乗客たちは、それぞれの新しい人生の選択と可能性の物語へと旅立ってゆくと言う話だ。いゃ〜、久々に見返したけど面白い。あの黄色いケースに入った携帯電話を自分のものだと勘違いした男が自分の席に戻って、同じ携帯を使っているふくよかなおばさんと口喧嘩している場面で、車掌さんがやってきて、電話番号を聞いて、彼の携帯から電話をかけたら、一つずれた席の上着のポケットから着信音が流れてきて、勘違いだったと言うエピソードの長々しいー場面、そこから今度はこの席を予約していた男性2人がやってきて、ここは私たちの予約席ですと言って、切符を拝見させてください、そうしたらわかりますと言うが、そのおばさんは断固として切符を見せないで、また争い事がスタートするのが笑える。

結局解決方法は、車掌さんの起点によって、争い事を避けて個室を用意してあげたところ。てかこのおばさん超独裁者で、一緒に同行している青年フィリッポのことをこき使って嫌がらせとかするからびっくりする。そんでいよいよその身勝手なおばさんに嫌気をさした彼が、出て行ってしまうんだけど、公共の場でも大声を出して彼を呼び止めようとする姿が滑稽であった。洋服を着替えるのも自分1人じゃままならないのに、あんな独裁的な発言ばかりだと当たり前だが、人は離れていくだろう。そしていよいよ、私の1番好きなストーリーがやってくるのだが、サッカー青年たちの物語だ。かわいい女の子たちを列車の席で見つけて、携帯番号を聞いてナンパしているのに、彼女たちが下車した駅で待っていたのは彼氏らしき男たちで、結局彼らは振られてしまうオチ、切符をなくしてしまって、車掌さんがその前に彼らが床に置いていたカバンにつまずいて蹴飛ばして、1人の青年の弁当が台無しになったと言って、口喧嘩するのだが、その後に切符がないことを言って、罰金のお金がかかると言われてバックの仕返しかと言う場面など、この作品には多くのいざこざが起きてしまう…。

やはり最後の作品はケン・ローチの作品と言うのは、彼の作品を全て見てきている自分からしたらすぐにわかる内容であり、やはりこのオムニバスの作品の中ではダントツに好きであった。こんな数十分しかないストーリーでも、彼の色が非常に全面的に出ている作品でやはりあっぱれである。私は彼の作品のレビューをするときに、よく使う言葉がある。本当に彼の行いには頭が上がらない…もしくは頭が下がるばかりであると言う言葉だが、この作品を見てもわかるように、彼の描く社会的地位の低い人間、人種、(それは難民であり、女性、子供)を徹底的に描き尽くしていることである。彼の過去の作品のほとんどがそうであるように、彼は弱者の立場に立って、ひたすら自分の信念を曲げずに、己の道を突き進む、ぶれずに同じテーマを描ききっているのだ。本当にすごい監督である。これほどまでに同じ内容の作品を多くとっている監督は世界的にも多くはいないだろう。小津安二郎が戦後の日本の家族を描いてきたのと同様に、ケン・ローチは、他民族の文化、伝統、生き様を見事なまでに描破てくれている。

この作品は、どこかしら非現実的なところがあって、それは、食堂車の指定券があるということだ。基本的にそういうものはヨーロッパにはないらしく、JRの北。北斗星、カシオペアではお馴染みであるが、超豪華と言う感じの種類の列車ではないため、自由に食事ができるはずだと思うのだが果たしてどうなのだろうか?ここら辺は日本旅行作家協会理事あたりに聞いてみたいものだ。映画に登場した列車は、イタリアの客車で編成されたものだと思われるが、斜めに塗られたストライプが白いボディに映える洒落たデザインが目を引く。日本の列車に乗っていると、この映画に出てくるような様々な国籍の人たちが同席する車内を体験する事はまず難しいだろう。国際列車ならではのムードがあるが、その分いろいろと言葉の壁など対立、問題は起こるようだ。

今作は同じ列車内を舞台にしているが、第一話では夜の列車内を描いているため、外の美しい風景などはほとんど見られず、第二話と第三話はローカル色のあふれる国内列車の雰囲気が醸し出されているため、どちらかと言うとこちらの方が私には日常的に感じた。未亡人が、勝手に指定席に座ってしまう話は強烈だったが、ヨーロッパには日本のような指定席車両と言うものは無いみたいだ。予約が入っていない席は自由席となるのであって、予約席であっても、予約区間以外なら自由に座っていて大丈夫みたいだ。しかしながら指定席を持った乗客が現れたら席を譲るのは当然のことだが、彼女は全くしない。ものすごい厚かましい女性像が描かれている。しかしながらだ。結局のところ彼女も暴君に見えたが、孤独な弱者であるクライマックスを見ると、そこへ同情もしつつ、しかしあの態度は良くないと見ているこちらの感情が得体の知れないあやふや感に襲われる。この辺はイラン映画特有のキアロスタミの真骨頂である演出方法だなと拍手喝采ものである。結局あの青年はどこへ消えてしまったのだろうか、ローマで働いている昔の恋人に会いに行ったのだろうか、その辺も観客に投げかける疑問の1つであり、それぞれの観客のイメージで完結できる。

残念ながら私の周りには鉄道ファンは1人もいないため、感想が聞けないのだが、果たしてどうなのだろうか、この作品は少なからず列車や田舎の駅、都会のターミナルといったあくまでもヨーロッパの話になるが、その鉄道の様々な魅力をうまく舞台として取り込まれているような感じがするため、鉄道オタクにとっては物語以外でも楽しめるのではないかとふと思ってしまう。北欧の会社のロゴが一瞬見えたりする貨物列車もそれは国際的であり、日本では考えられないというか見れる光景ではないし、日本と違って物流の主役であるヨーロッパの貨物列車は各国の雑多な貨車が長々と連なっていて興味深いと思う。それにしてもこの映画のクライマックスで、車掌がとりあえず関係者にサッカー好きな青年たちを渡そうとする場面で、一応ハッピーエンド的な終わり方にぬるが、しかしながら、結局彼らは逃げてしまうため、正式に罪は罪のままであるが、その終わり方が非常に良いのである。そうでなくてはならないと言うほどに、ローチ作風の感じがここに出ている。それとオルミとローチの編に登場するアルバニア移民の家族たちも同じ家族だが、それぞれに違った感じで描いている。

オルミ作は気品高い格調ある映画になっていて、キアロスタミは皮肉交じりのストーリーになっている。そしてローチは、みずみずしい現代若者群像として描かれている。しかしながら序盤と終盤は難民問題を取り上げている分、中盤の作品はその他の事柄に言及しているため、ー種の起爆剤になっているのかもしれない。やはり最後を飾るケン・ローチ監督の3人の若者が今までに触れ合うことのなかった移民、難民問題にぶち当たった時に、命がけでやってきた、給料を貯めてようやく観れるサッカー試合を諦めて、この家族を助けようと言う姿は、世界の困難な状況を突き付けられたー場面である。しかしながらこの映画の救いであるかのような3人の青年(天使たち)はヨーロッパ大陸を走る列車の旅がもたらした運命にきちんと向き合ったのだ。ここがなんとも素晴らしいのである。サッカーだけに生き甲斐を感じていた青年たちがそれと引き換えに全く見知らぬ家族を助けたのだから。しかも悪さをしているのにもかかわらず。

自分の生きがいと見知らぬ家族を救う代償はあまりにも彼らにとっては大きかったと思うが、クライマックスのあの場面を見ると、ケン・ローチが、天からの贈り物を授けたんだと見てとれる。果たして今の若者たちにできるだろうか…。いや出来る。そもそもたかがスーパーの店員(そんな事を言うとスーパーの店員に怒られるかもしれないが…)が、世界の大問題である移民問題を解決しようと言うのはあまりにもきつい話だろうしかし、スコットランドから出てきた青年が移民の家族に生きるチケットを与えたのだ。自分の楽しみと難民問題を天秤にかけた勇気は救いである。イギリスはEUを離脱したが、この作品を見ると、世界中のあらゆる民族を1つに結び、融合させていくそんなヨーロッパ連合(EU)の象徴なものが見れた。まさにシンボリックな作品だと思う。やはり列車の旅と言うのは豊かな心の交流が生まれるところだなと思う。これが空の旅(飛行機)だった場合は、指定した席から立ち上がり、うろちょろする事はほとんどできないし、会話すらできないだろう。そういったことを考えると、列車の旅と言うのは色々と人間であることを再確認することを教えてくれるものだなと思った。個々の監督の作品に出るスタイルが非常に面白い。

ここで余談だが、このコンセプトについては、単純であり、キアロスタミとプロデューサーが、会話をして始まったそうで、キアロスタミが、最初は3人の監督がそれぞれ1本の長編ドキュメンタリー三部作と言う企画を提案して、組んでみたいと思う監督の候補として、彼はすぐさまオルミの名前を挙げ、プロデューサーがケン・ローチの名前を出したそうだ。そして2人にファックス送ると2人から直ちに電話がはいってもちろんやるよとなったそうだ。そしてオルミが列車を舞台にしたシンプルで素晴らしいストーリーを思いついて、ローチとキアロスタミは、なんで三部作にしなければいけないんだ。一緒に1本の作品を作ろうじゃないかと提案したそうだ。こうして、映画の中には、3人の監督によって撮影された場面も出てくる。それから2つだけルールを作ったそうで、それぞれの物語が、どこかでつながっていること。そして、舞台は全て列車内であること。この列車内での偶然の巡り合わせのエピソードや登場人物が、編集を経て1つの物語として互いに織り上げられていくと言う形を目指したそうだ。

ちなみに今回自分も、キアロスタミのインタビューを見て知ったのだが、彼はオルミのことを尊敬しており、彼の作り出す作品がとてつもなく好きだそうだ。今回のプロセスによって初めて出会ったらしく、40年ぶりにオルミのモノクロ映画の初期の傑作とされている「就職」と言う映画を見たら、今でもやはり素晴らしいと思って実際に彼に会ってみたいと思ったそうだ。そして物語の順番は、オルミが最初がいいと言って、ローチは最後がいいと言ったらしく間にキアロスタミが入ってきていい具合になったそうだ。ちなみにキアロスタミは、この作品を1本の長編映画にして続編と言う形で作りたかったそうだが、本作が世界中の配給会社に売られているので、同じ脚本の続きを作るには権利の面で複雑なことがたくさんあって、実現するのは難しいと話していた。
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