LC

僕はラジオのLCのレビュー・感想・評価

僕はラジオ(2003年製作の映画)
3.8
面白かった。

50歳になっても走っている姿には驚く。健康状態を良好に保ち続けてきたんだろうかと想像する。
幾つになっても元気でいてくれて、頼もしいね。悲しみや苦しみが消える人生はないわけで、それでも彼は笑顔で生きる選択をし続けている、そういう姿なわけだから。

「頭の回転が遅いこと以外は普通」と説明されていたりしたけれど、本人の頭の中はそれでも目まぐるしく回転していただろうと思う。
例えば、何で話しかけてきているのか、敵意があるのかどうか、どのように返事をするべきなのか、過去どうしたら突然怒られたっけ、同じことが起こるだろうか、それとも何か頼み事だろうか、困っているのだろうか、相手の目的は何だろう、って感じで、想像してみることは実は難しくない。
彼のような人にとって苦手なことのひとつは、頭を回転させることではなく、一手先を読むことだったりする。
訓練を重ねることで、一手先はもちろん、二手先まで読めるようになる者がたくさんいる。もちろん、三手先、四手先、と進み続けることもできる。
最初は言葉を交わせなかったけれど、少しずつ意思疎通を試みていく。それはコーチもそうなんだけれど、もちろんラジオさんも同じである。
お互いに少しずつ試行錯誤していったからこそ、簡単に切ってはいけない存在として、お互いに絆を結べたんだね。

コーチはたぶん、かつて目にした者と自分を区切って考え、意識の外に出すことに対して、平気でいられる人ではなかったんじゃないかと思う。
見つめ合った時、そこに自分でも理解できる感情を読み取ったのかもしれないね。
自分が同じ境遇だったら、同じ目をしたかもしれない。そういう想像力の働かせ方をできる人でもあったのかな。
人を人として扱う。その人が、どれだけ自分たちとは異なっていても。そうして築いた関係の中で時間を過ごすこと。コーチはその貴重さを見失わなかったし、きちんと結果も残せたんだね。
それにしても、標的(男性)を騙して女子更衣室に行くよう仕向けることに激怒してくれるところは痺れた。ちゃんと「お前は出場させない」と断言までしてくれて。
ラジオさんは、自分がそこへ立ち入ってはいけないことを理解していた。そんな彼の「でも誰かを悲しませるのはいけないこと」という良心に付け込んだ。その上、被害に遭った子の中には、ラジオさんに生理的嫌悪を(理屈ではなく)抱くきっかけになったという子もいたかもしれない。彼の教育に熱心なコーチの立場も問われる。そんなコーチを父に持つ娘さんだって、大きな動揺の渦に投げ込まれる。たくさんの人を一撃で傷付けたわけだ。
そこまで読んでいなかったのかもしれないけれど、一手先を読めないスポーツ選手なんて、遅かれ早かれ行き詰まりそうだよね。逃げていく背中を笑うことは楽しかったかい。

食べ物を差し出された時の素早さには笑ってしまった。
美味しいものたくさん食べるのって、わしも好き。考えるより先に手に取ろうとしちゃうよね、まあ訓練を積んだので、きちんと確認したり、感謝を示してから受け取ったり、わしも成長過程で身に付けたわけだけれど。たぶん、みんなそう。産声あげた瞬間からそんなこと知ってる人、いないんじゃないかな。根気強く、教えられながら身に付けていくことばかりだ。
ゆっくり、少しずつ、覚えていける。ルールも守れるようになるし、何より悪意を基に行動しない強さだってある。
お金や地位で物事を解決するような根気のなさを振りかざす人とは、対照的な2人の交流だった。
受け入れてくれる人や環境を、ずっと大切に生きてきたんだ。そんな50歳、かっこいいね。
LC

LC