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ラインの仮橋のukigumo09のレビュー・感想・評価

ラインの仮橋(1960年製作の映画)
3.5
1960年のアンドレ・カイヤット監督作品。彼にとって本作は『裁きは終りぬ(1950)』に続いて2度目のヴェネチア国際映画祭での金獅子賞受賞作品となった。弁護士の経験を持つ彼は1950年代に『裁きは終りぬ』から『われわれはみな殺人者(1952)』『洪水の前(1954)』『黒い調書(1955)』と裁判や司法制度をテーマにした作品を連続して撮っていたが、本作『ラインの仮橋』は戦争を舞台としたドラマである。
弁護士時代スタヴィスキー事件やジャン・シアップによる隠蔽などに嫌気が差したカイヤットはジャーナリズムや小説家としての執筆活動に転身する。ル・プティ・ジャーナル紙のスペイン内戦の取材に友人と向かったカイヤットは一般市民に対する空襲を目撃した最初のフランス人となった。彼は1939年の9月3日の宣戦布告により第11歩兵連隊に配属し戦争を経験する。こうした体験が『ラインの仮橋』の基になっている。

ドイツがポーランドに侵攻したことで宣戦布告が出され、パン屋のロジェ(シャルル・アズナヴール)は動員令により出兵することになるのだが、妻(ベティ・シュナイダー)や口うるさい義母から離れられて解放感も覚えていた。一方パリでエスポワールという自由主義の新聞社で記者をしているジャン(ジョルジュ・リヴィエール)はジャーナリストということで違う抜け道もあったのだが、このままでは平和は望めないという思いで志願して出兵する。彼の同僚である女性記者フロランス(ニコル・クールセン)は、ジャーナリストは銃よりもペンで戦うべきと思いとどまらせようとしたが、ジャンの決意は固かった。
しかし戦況は芳しくなく、彼らフランス軍は捕虜となり長蛇の列を作り、ライン川の軍用仮橋を渡っていく。この時、ひょんなことからロジェとジャンは知り合い親しくなる。捕虜収容所で苛烈な労働の日々が続くのだが、捕虜たちの元の職業によって作業内容が変わると知って、ジャンは農業と答える。ロジェもジャンと離れるのを寂しく思い、同じく農業と答える。そうして彼らは田舎の村で村長の農場の仕事をすることになる。そこには若い娘ヘルガ(コルドラ・トラントフ)がいた。当然接近は禁じられていたものの、ジャンはヘルガに接近し誘惑する。言葉がほとんど通じない者同士が、それも戦時中の敵国の男女が親密になっていくのはジャン・ルノワール監督『大いなる幻影(1937)』のジャン・ギャバンとディタ・パルロの関係のようだが、本作では純粋な愛ではなく、その先に狙いがあった。ジャンはヘルガとトラックで配達の仕事をしていたが、途中で森へ行き奥へと誘う。愛の言葉を囁きながらジャンはヘルガにキスをし、服を脱がせる。彼はそのままヘルガの服を持ってトラックで一人去ってしまう。かねてから脱走を考えていたジャンはヘルガの愛を脱走に利用したのだ。ヘルガは脱走を手助けしたとされ矯正収容所へ送られてしまう。秘かに彼女の事を想っていたロジェは落ち込んでいる。しかしロジェは次第にドイツ語を覚え、持ち前の気立ての良さで人々から信頼されるようになり、村長が出兵してからは村長代理として働くことになる。
パリに帰ってきたジャンは自分がいた新聞社がナチスに協力的な新聞になっているのに気づき、ロンドンに渡り、自由フランス紙でフランス解放のための論説を書くようになる。パリ解放後、ジャンは一時ヴィシー政権のための新聞に身を置いていたフロランスと和解し、結婚しようとするが、彼女の戦時中の秘密を知り、困惑してしまう。

本作は戦争が舞台となっていながら、画面上では爆弾や銃撃といったものはほとんどない。元ジャーナリストであり戦争を経験したカイヤット監督ならではのアプローチでの戦争映画である。映画の始めで強制的にラインの仮橋を渡らされるロジェが、ラストである決意によって自らの意思で同じ橋を渡るのが感動的だ。司法制度を映画化した一連の作品では正義の不在が度々描かれてきたが、本作は派手で頑固なヒーローより謙虚な現実主義者を暖かく描いており、ヒューマニズム作品となっている。
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