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S21 クメール・ルージュの虐殺者たちのぷかしりまるのレビュー・感想・評価

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虐殺の実行者たちが当時の様子を再現するという点で、『アクト・オブ・キリング』の元ネタと言われている。そしてこのドキュメンタリーの特徴は、彼らと生き残った者が対峙し、話し合いを行うという点にある。ぷはこれまで、虐殺の加害者が語る『日本鬼子』、『蟻の兵隊』、『アクト・オブ・キリング』、『SHOAH』や『沈黙を破る』などを観てきたが、虐殺とその正当化のプロセスは驚くほど共通している。

まず殺害や被害者をさす言葉の変異。今作ではtuerがdestructionと言い換えられていた。生存者である画家はそのことを「より倫理的であろうとするように思える」(Il semble rester un peu de morale)と言い、「動物に関しては殺すと言うのに、人間に対してそのように言われないことは、もはや埃同然として扱うことだ」と述べる。他にも拷問による死がèpuisement, maladeのように言い換えられており、それは死の責任を転嫁する呼称である。

そして殺害の正当化は、組織的には「サボタージュを行った捕虜とその家族や友人全てを殺すこと」であり、虐殺後には「彼らの将来の悪いカルマを取り除いた」というセレモニーが行われた。虐殺の実行者は、自身の行為を悪と認識していない。「自発的に殺害したのであれば悪だが、命じられて仕方なかった。従わなければ自分たちも殺されていた」「事故みたいなもので、自分たちも被害者だ」と述べる。それに対し画家は「あなたがたが犠牲者なら、殺された捕虜はどうなるのです」と質問する。すると実行者たちは「敵だと教わったから」「正しさを自分に信じ込ませた」と回答する。画家は「一歳にならない赤子も敵だったのか」と返す。シーンが変わってしばらく経った後に、実行者の当時の手記が読み上げられ、そこにはクメール・ルージュとして活動することの喜びが書いてある。彼らはもともとアメリカ支配にたいして祖国解放の希望を持った若者で、クメール・ルージュにたいする希望も持っていた。

「書類が決めたら虐殺を実行し、そこに人間性はない」という言動があったが、これは虐殺の本質だと思う。

拷問は捕虜からの返答、真実を手に入れるための目的である。そうでなければ死ぬに任せる。だからこそ、捕虜が自殺しないように身体検査を行い(隠し持ったペンで静脈を刺した捕虜などがいた)逃亡しないように飢えさせながら、自白のためにギリギリのところで生かしておいた。殺害の際には嘘をついて親子や家族を引きはがし、反乱を起こさせないようにし、効率的な方法で大量に殺害した。

異臭とそれに慣れることについての言及もあった。cf:『沈黙を破る』(知り合いは『関心領域』について臭いの言及がないことと無関心の関係を批判していた。)

この映画で印象に残ったのは以下のシーン。実行者が「あの時の自分を思うと恥ずかしい、法に違反していた。でもそれについては深く考えることができなくて頭が痛くなるんだ」〈加害者の解離?〉と言っていたことに対し、生存者が「ひとは、昔の話は忘れろと言うけれど、そんなことはできない。被害を受けた人間にとって苦しい記憶は忘れられないものなのだ」と述べ、「この機会によって、どうしてあんな目に遭わなければならなかったのかあなたたちの口から聞くことができた。しかしそれは罪を洗い流すことではない」と続ける。彼は指導者が誰も謝ろうとしないことについても述べていた。