ちゑ

アバターのちゑのレビュー・感想・評価

アバター(2009年製作の映画)
4.4
公開当時に観た時は、映像美と1本の映画のためにナビ語という新しい言語を作ったことに、ただただ感動したのだけど、続編があるということで見始めたところ、今回は作品のメッセージ性に触れ、思考がとまらない。

資本主義がアメリカ先住民から習慣や土地を奪った(後者が得たものもある)歴史が思い出され、何が善で悪なのか、幸福とは一体なんなのか、そもそも人類の文化の発展において善悪という考え方は必要なのか、深く考えさせられた。

戦闘シーンでは土地を奪う側と侵攻される側が民族の誇りを守るために戦うことを選択し、両者の命が失われるという構図がロシア・ウクライナとリンクしてしまい、複雑な気持ちにもなった。
日本国憲法にもある通り、生命の保護が何よりも優先されるならば、どんな場所でだって生きていけるのだから、戦う必要なんてないと思う。その反面、戦わない選択をした場合に繋がる未来が悲観的なものなのか明るいのか、もはや想像が及ばない。
(日本や朝鮮が中国の一部になる未来では、もしかすると市民の生活は、今後の日本より水準が高いのではないか?ただ自由はなさそう。)

メタバースなどの普及が進む中、主人公が障がいのある環境から、再び大地を走り回るシーンは爽快だった。知覚をもつ体験ができることは素晴らしいと思った。
ただ、そんな現実を捨てて、アバターへ記憶を移行させ、障がいを取り払い望んだ世界で生きていく終わりが『パッピーエンド』ならば、現実逃避的に仮想空間の中で時間を過ごす生活を肯定している気もする。

将来的には脳(記憶)のバックアップができるようになり、ほかの姿(それが別な肉体なのか機械なのか空間なのかわからないけど)インストールできる時代がくるのなら、魂が幸福を感じ続けることが『生きる』ことを意味する。
そんな『生きている』という定義に肉体的な姿を必要としないのであれば、それはもういまの人類の姿ではないし、前向きに捉えれば、生命が進化した先の姿だと言えるかもしれない。

自然を神と感じるのは古代日本にもあった感覚で、『神は誰の味方でもなく調和を保つことを優先する。』みたいなセリフが心に響いた。自然淘汰に生物が抗うことはできない。という結論に行き当たる。
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