櫻イミト

怪人マブゼ博士/マブゼ博士の遺言の櫻イミトのレビュー・感想・評価

4.5
大傑作。「ドクトル・マブゼ」(1922)から10年後にラング監督が放った完結編。「混沌は至高の法となり犯罪の支配の時が来る!」。芥川賞作家・北杜夫が本作の影響を受けすぎて破産したことは有名。

前作のラストでマブゼ博士が発狂し収監されてから10年後。偽札事件を追っていたローマン警部の前に”マブゼ”の名が浮かび上がる。そこでマブゼ博士を訪ねてみると、彼は沢山のメモを残し死んでいた。しかし、その後も”マブセ”を名乗る者の犯罪は続いた。残されたメモ通りに。。

シナリオも映像も犯罪エンターテイメントとして楽しめる。一方で、人間の内なる犯罪への欲求、その呼び覚ましを文章で広く伝染させるという秘教めいた設定にゾクゾクさせられる。この映画自体もラング監督による洗脳装置が仕掛けられているのではないかと。「リング」脚本の高橋洋さんが本作をオールタイムベストの一本に挙げているのは頷ける。

本作は公開予定の1933年に政権を奪取したナチスにより上映禁止とされた。その後ナチスは政治プロパガンダ映画を制作するようになる。これも映画による洗脳である。

※同時代のドイツを生きたラング監督(1890生)とヒトラー(1989生)の背反した運命は興味深い。両者ともに1907年にウイーン美術学校の試験を受けラングは入学、ヒトラーは失敗。1923年、ラングは前年の「ドクトル・マブセ」の大ヒットで巨匠となり、ヒトラーはミュンヘン一揆により収監。翌1924年、ラングは代表作となる「ニーベルンゲン」を手掛け、ヒトラーは獄中で「わが闘争」を執筆。
そして前述のとおり1933年、ヒトラーが政権奪取し本作は上映中止。翌1934年にユダヤ人であるラング監督はフランスに亡命する。

※本作の脚本テア・フォン・ハルボウはラング監督の妻でありドイツ時代の殆どの映画の脚本を書いていた。しかしナチス党支持していたこともあり本作をもって離婚。ラング亡命後はナチス好みの小説を書き続けた。
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