しおの

河のしおののレビュー・感想・評価

(1951年製作の映画)
2.5
イギリス人富裕層家族の娘ハリエットの植民地インドでの暮らしを描いた映画で、嬉々として恋愛エピソードを展開してくる女子の話を延々聞かされているかのようで勝手にしてくれと言いたくなる内容はともかく、ルノワールの撮したガンジス流域の生活映像は昔の海外ドキュメンタリーをみるようで見入ってしまうところがある。ベンガル語に字幕が入らないのも堪らなくエキゾチック。一人称語りが多いのが特徴でいかにも小説的な描写解説で話が紡がれていると思ったらやはり原作があり、原作者は英国女流作家ルーマー・ゴッデンという人らしい。彼女の生まれが1907年で原作の出版が1946年なので、この作品に自伝的な要素があるとすれば、映画の舞台は1920年くらいで大体40歳くらいの語り部が10代前半の少女時代を回想しているというような形になると思う。こういう少女の恋愛は英国文学の伝統なのかどうでもいいけどリアルと言えばリアル。主人公の父親は娘の傷心に「勘弁してくれ」と言い大人の見識で突き放すが、一方「文明国は学校で抑圧ばかりしてあげく戦争に送り込むがインドは自由だ」と感傷に任せて捲し立てるシーンもある。結局この一家のドラマなどは宗主国富裕層のお気楽どたばた劇でしかなくて、唯一彼らに与しない英印混血のメラニーの目はどこか冷ややかである。ベンガルの人々は決して自由ではなく不自由だから迷うことがないというだけで、彼らをこき使いながらインドを自由だと持ち上げるのは、凡庸なオリエンタリズムで宗主国の潜在的優越をくすぐっているのと同じことでしかない。彼らに今日生きるために働く人々の気持ちは分からないし、この映画がその気持ちを汲み取っているようにも見えなかった。河とともに生きる彼らを羨むのはいいけれど、彼らにそれ以外の選択肢を与えなかった英国人がそれを言うのには問題がある。ルノワールがメラニーにどのくらいの意図を含ませたつもりなのかは分からないが、いずれにせよこの映画にある河と共に生きる楽園としてのインドというイメージは拭いがたく、ルノワールの映像がいくらありのままを描写していたとしても、価値観の古さは否めない前時代的な映画であったと思う
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