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都会のアリスのあのネタバレレビュー・内容・結末

都会のアリス(1973年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます


「物事が変化するなんて思えなくなる。自分さえ消える。まるで自分が他人みたいだ」

「自分を見失ったら、見るもの聞くものすべて通り過ぎるのよ。だから、自分が存在する証拠が欲しいの」

自己を省みず、現実から顔を背けるせいで通り過ぎていく刺激の無い“非人間性が連続する”耐え難い世界を嫌悪するフィリップは、弾丸で撃ち抜いた風穴がいつまでもそこに残り続けるように、写真を撮ることで自己の存在を証明し、その特別性を確かめながら生きながらえていた。

「でも独り言よ。本当は自分に向かって言い聞かせているだけ」

そのくせ、彼には周りの人間は有って無いようなものであって、その存在証明は終始独り言のブーメランのようである。

そして、フィリップは自己を維持することもままならない人間で溢れる、変化の著しい「時間の感覚を失う街」がせめてもの錯覚的な刺激であって、その都会で出会ったアリスこそが、フィリップの人生の軌道修正へのきっかけとなる。

美しい空の景色は空っぽで、夢はないもの。
子供ながらに諦念するアリスは、これまでの短い人生の中で理想や希望が度々打ち砕かれ、現実的では無いものや、掴めない漠然としたものにうんざりしているような言動を繰り返す。

「空っぽの家ってお墓みたい、静かすぎて怖いわ」

現実的だけれど、人の不在、無機質で血の通わないものに対しては虚無は揺らぎ、恐怖を覚えるのかも知れない。

また、トイレの匂いを気にしてマッチを用意したり、恐怖の種類について語る。スカジャンの膨らみを弄られると、分厚い財布を取り出す子供らしからぬ周到っぷりを見せ付ける。

「4頭の象を乗用車に乗せるには?」というアリスのなぞなぞ。

象はいわば男性器の比喩であり、一頭の象を愛せば移動せずに済むけれど、その土地ごとに男がコロコロ変わるそうはいかない母はどうすれば良いのだろうかと、子供ながらに、揶揄いながらも最善の方法を考えていたように思える。

かと思えば、「私疲れてないから、きっと眠れないわ」といい、寧ろフィリップを起こしてあげる素振りを見せながらも、案の定爆睡したり、喉が渇いたと度々駄々を捏ねたり、トイレに籠城して拗ねたりする。

少しおませで生意気だけれど、子供らしい無邪気さも忘れず兼ね備えているアリスの存在こそが、作品の魅力であって均整を担っているように思う。

アムステルダム以降写真を撮らなくなったフィリップは、アリスの存在によって、初めて写真を撮る側から撮られる側に立場が変わった。
アリスと出会い、無意識のうちにアリスとの旅の中で自身の存在証明を確立させていった。

水遊びで罵り合いながらも楽しむ二人は、
まるで乾いている者同士が、その渇きを潤すようであり、無意識のうちに支え合いながら心身共に新しい人間へと成長し、ニヒルからの脱却に成功したように映った。

少し難解で回りくどい台詞や表現の意図を図りかねる場面もあるけれど、総じてヴィム・ヴェンダース作品らしい、芸術性を尊重した哲学的な作品だった。
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