みんと

はなればなれにのみんとのネタバレレビュー・内容・結末

はなればなれに(1964年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

毎度ゴダール映画はオープニングから圧倒的高揚感・多幸感を与えてくれる。相変わらず、彼のユーモア、遊び心、芸術センスが終始散見され、ニヤニヤしっぱなしだった。強盗計画を練る者たちが突如マディソンダンスをしたり、ルーブル美術館を9分43秒で走って回ったりする姿に、ゴダール映画特有の、ヌーヴェル・ヴァーグ作品特有の、“若者たちの生の輝き”を感じる。ゴダール映画に限らずヌーヴェル・ヴァーグ作品を観終わると、無性に刹那的に、傲慢に、雑に生きたくなる。

しかしそんな喜劇の本作には、“不幸”が同居していた。
毎日違う女を抱いて、大金を手にしてフェラーリを買いたい人。暗くて奥手な人。無垢で男慣れしていなくて、いいように使われてしまう人。悲しそうに地下鉄に乗る人。路上生活する人。脱税する人。
皆が“深い、深い、深い悲しみ”を持ち、孤独ながらも“自由”を求めている。アンナも当時抱えていたそんな人間の“不幸”を、ゴダールは映画の中でアンナ自身に語らせたり、他の役者に問いかけさせたりしていた。それがゴダールなりの彼女への素敵な愛の形なのだ。


「人々が一体にならないのは変だと思わない?結びつこうとせず、“はなればなれ”だ。皆がバラバラで、不信と悲しみを抱く。大きな家に住もうが宿無しだろうが同じことだ。」
このフランツのセリフが、喜劇と同居する人間の“不幸”な側面を映した本作を集約していた。

最高に洒落てて笑えるのに、共感できる人間の闇を感じられる本作は、間違いなく自分にとっては名作の一つになった。

最後のオディールとフランツも、“はなればなれ”を解消するかのように、互いの都合のいい解釈でそういう関係になった感が否めない終わり方も、最高に良い。
みんと

みんと