なんだそいつぶっ飛ばせ

リリイ・シュシュのすべてのなんだそいつぶっ飛ばせのレビュー・感想・評価

リリイ・シュシュのすべて(2001年製作の映画)
3.9
「ここの条件はリリィが好きであるということだけです」
リリィ・シュシュで繋がる4人の中学生。彼らにとってエーテルとはなんだったのか。

賛否両論あるような内容でも、映画の評価を高く保っているのは紛れもなく、音楽と映画の融合、映像の美的センスであるだろう。手ブレと荒い画質をあざとすぎずに使う手段として、沖縄のシーンでは子供にカメラを持たせる。時に大沢たかお。その前にラーメン屋のところでの画角も好きだった。ぼやけてるようで、鮮明で。久野さんと倉庫に行くところで、急に明るくなるのも怖かったな。なんか外だ…って感じがした。掲示板の書き込みをここまで読ませるのも見る人を信頼しているというか、ここから感じ取ってくださいよ。みたいなね。今の岩井俊二なら分かるけど、当時だからね。そりゃ凄いよ。

ー14歳というズルさ
雄一(市原隼人)は虐められパシられ、惨めな思いをしてるわけだが、久野のシーンではレイプに荷担する形になる。当然見返りが怖くて、やるしかないのは分かる。ただどこか言い訳のようにも見えてしまうのが怖い。何、泣いてんだよ!と思った人もいるかもしれない。これが14歳というずるさだ。どこかみんな何かのせいにして自分を正当化しようとしてるように見える。みんな誰かのせいにしてるんだ。でも久野さんだけは、みんながピアノ辞めさせようとしても解決策を考えて、合唱会を成功させた。それこそ久野さんに感じるエーテルなのでは?

なんか1部では沖縄旅行いるのか?みたいな話があるらしいですが、自分は1番大切なパートなのではと。大沢たかおから学ぶことがあるのではと。やっぱりこの映画に出てくる大人はみんなおかしいですよ。先生も少しズレてるし、親もおかしい、援交なんてもってのほかですが。その中で大沢たかおという人物に出会い、出会った場所で死んでしまう。何か狂うんです。何かが。お金とか人間関係とかその1番遠くにあるはずの思い出が、狂うんです。

ーリアルじゃないという見当違いな話
リアルかなんて映画に求めるなよ、とは言いませんよ。そりゃリアリティって映画にとっては大きな武器に見えますから、共感とか興味の1番近いところにありますよ。でも自分は近すぎるあまりに、そこで止まってしまう、完結してしまうものだと思うんですよ。奥行きがない。リアリティは鎧であるべきだと思うんです。ありすぎても身動き取れなくなる、でも武器がなくても守ることは出来る。やっぱりこの映画は大きな武器を持っていて、鎧はスカスカ。でも自由に動くことができるし、攻撃もできる。1発攻撃を受ければそれまでですがね…ちょっと映画に関係ありませんが。