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仮面/ペルソナのNのネタバレレビュー・内容・結末

仮面/ペルソナ(1967年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

“無口なエリザベートに気持ちよく喋る様から一転、彼女が怒りを覚えたのは手紙を盗みして「見ることによって消費されていた」ことに気づくからだ。
それはエリザベートが舞台上で、見られることに対して理不尽さを感じ、見られる側を降りたのだと推測させる。
だからこそ、エリザベートは「見る側」の存在として、アルマを「見る」のだ。


舞台出演中に失語症に陥った女優と、彼女の治療のために共同生活を送る看護師の物語である。やがてふたりの人格は融合し始める。
これは片方がもう一方のドッペルゲンガーであるという解釈も可能だ。
では女優と看護師のどちらが分身なのかというと、看護師の名前がアルマであることから正解が判る。"alma"とは「魂」の意味で、ラテン語ではアニマ(女性名詞)/アニムス(男性名詞)となる。

キリスト教的価値観/倫理観(蜘蛛の糸=神が支配する手)に絡め取られ、失語症に陥った女優は自分の性的願望を抑制し、欲しくもない子供を堕胎することすら叶わなかった。一方、彼女の心の深層に形成された影(=生きられなかった反面)であるアルマは奔放な女で、堕胎も厭わない。
そして最終的に両者は同一化することに成功し、新たな自己を形成する。

実はアニマ、アニムスはユング心理学の用語である。ペルソナ(仮面)もユングが用いた言葉で、私達は1人の人間でも実に様々な「顔」を持っている。
会社での「顔」、家族と接するときの「顔」、幼なじみと酒を飲み交わす時の「顔」。その場その場に応じて別の「仮面」を付け、「役割を演じている」のである。”引用より

自分には難解すぎて、理解できないし意味がわからないシーンが多数あった。ただ難解なだけでなく、なんとしてでも難解にしようとする強い意志が伝わってきた。

女医がエリザベートの真理に迫った時に、観客に向けた状況説明らしいセリフがかなり不自然に思えた。自然な会話ではなく、司会者みたいな誘導的なセリフがわざとらしいんだけど、あえてのコンセプトなのかもしれない。
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