仮面/ペルソナの作品情報・感想・評価

『仮面/ペルソナ』に投稿された感想・評価

ニタ

ニタの感想・評価

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好きな人が映画好きだし、今度スウェーデン行くしと思って見た
難しい
藤岡

藤岡の感想・評価

4.2

このレビューはネタバレを含みます

最初のモンタージュ、恐ろしい…一瞬ペニス映ってた。
仮面の裏に隠された本当の自己
子供への憎しみも観ていてキリキリする。
不安を煽る演出がうますぎる
Yuki10

Yuki10の感想・評価

5.0
予想以上に怖く何度か鳥肌が立った。
精神的にくる不穏感素晴らしい。
サブリミナルで不快な映像を挿入し不安感が徐々に強まる。
容姿が似た2人が重なり合い同化するシーンが美しくも怖い。
偽りの姿を演じ他者との間に境界線を引くが次第に打ち解ける中で明らかになる本来の姿。
他者に依拠しながらも自己を失うアイデンティティを巡る話のようにも思える。
『マルホランド・ドライブ』のうな空気感もたまらなく好き
M

Mの感想・評価

4.0
ずっと不穏。何が起きるか怯えてた、。何回も夢から覚めるので、もう時系列が分からない。分からなすぎてレビューを見たけど日本語字幕で観てる人たちですら分からないっていうレビューが多いのに英語字幕の私が分かる訳がなくてこれも日本語字幕も観なくてはいけない映画リスト行き。2人の顔が重なった場面はゾクっとした
僕も少なからず仮面をかぶって生きており、(なんならかぶっている時間の方が長い?、)そちらこそが真の自分なのかもしれない、等わけがわからなくなる時もあるわけでして、この映画には大きく共感ができます。エリザベートがアルマに言われた途中の「観察者〜」の言葉、なんだか自分に言われてるような気にもなりました。


サブリミナルを狙った前衛的なカットや自己の所在など、たしかに『ファイトクラブ』ぽさがあるなあと。久しぶりに見よっかなーーー。
久

久の感想・評価

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ベルイマン4作見たけどこれが今の所一番惹かれた。抽象的で理解は出来ないし分かった気になるとすぐに突き放されるものの、大学入ってから暫く抱えていたわだかまりに対する無関係ではない何かがあったように思う。
あろは

あろはの感想・評価

4.0
エリーサベットが口にしたのは、たった3つの言葉だった。

本当の自分でありたいと思っているエリーサベット。夫婦仲はうまくいかず息子も愛せない。

他人から見た自分とのギャップに耐えかねて、自分をさらけ出したいという欲望が湧き上がる。

口をつぐむことで呼び出された、アルマと名乗るペルソナ。エリーサベットの代わりに、潜在意識下の深層心理を語り出すのだが。

アルマの導きで、エリーサベットが口にする言葉"無"。静かに映る鏡の中の2人は、重なり合っていく。

再び映画の世界に戻り、立ち直るエリーサベットの物語。

製作費不明
 60年代のベルイマンの代表作で、多分最もアブストラクトな一品。
 『沈黙』から『誰もその女たちについて話さない』ときて本作と並べると、主題の面では男性から女性へと焦点が移行したことが明確となる。失語症(沈黙)、孤島、女性間の対立、クロースアップの強調など、要素要素はこれまでの作品から持ってきているものが多い。ちなみにエリーサベットが失語症になったときに演じていたのは母殺しの戯曲『エレクトラ』であり、主題を反映させたものといえるだろう。
 しかし、アラン・レネのような現実と空想の混乱、冒頭と結部に置かれた物語と無関係のシーン、フィルムが燃える・撮影クルーを映すといったメディウムに対する内省的な演出などが鑑賞者の理解を拒む。

 相互に絡み合ってもいる以上の内容と形式の諸要素を消化するのは自分の手に負えないが、端的に映像作品として非常に優れた作品であるし、ベルイマンらしい箇所を取り上げても十分に褒め称えるポイントがある。

 そもそも全編にわたり登場人物がほぼ2人であり、しかも片方はほぼ無言というシチュエーションで長編映画を撮れること自体がクレイジーである。
 例えばだが、アルマが海辺の乱交と中絶を独白するだけの長いシークエンスが妙に印象に残るのは、内容の生々しさだけが理由でなく、その内容に見合うだけの緊張感が画面に維持されているからでもある。というか、映像がアルマの告白に一層の生々しさを与えている。エリーサベット役のリヴ・ウルマンの表情が意味する所の不可解さによって奥行きを与えられ、崩壊寸前のところで保たれている。
 アルマが話の途中でタバコを取って立ち上がり、ライターのある画面奥の窓辺へと移動するところなどは、あたかもアルマ自身が自分の独白に耐えきれなくなり、ひと呼吸挟みたくなったかのような自然さがある(これ以上動きのないシーンを続けられないという判断が働いたのだとしても)。
 その次のショットで(会話はスムーズにつながっているのに2人はいきなりベッドに移動している)、アルマが泣きながら妊娠と中絶を語ることでついに緊張は破られる。このとき仰向けのアルマを側臥位のエリーサベットが見つめている。ライトはエリーサベットに向けられており、シーンの主役がむしろ微動だにしない彼女であることが分かる。
 これは話の流れから言って適切だろう。なぜなら、「自らの性体験、それも褒められたものでない内容を赤裸々に語ってアルマは大丈夫なのか?」という我々の不安は、聞き手のエリーサベットにかかっているからである。我々の不安は、エリーサベットの冷静な観察者の眼や曖昧な微笑みによってシークエンスの間じゅう維持されているのだ。
 この偉大なシークエンスのように、極端にミニマルな設定で映画が立派に成立しているのは、リヴ・ウルマンとビビ・アンデショーンという2人の女優の実力や、それを存分に引き出す演出家ベルイマンの才能は当然として、加えて彼らが長年仕事を共にしてきた経験値と信頼によって可能となったのだろう。
 
 前後するが、エリーサベットが無言であることを利用してサイレント映画風に撮っている場面(その他の音はある)もあり、TVを通じて焼身自殺する仏僧をエリーサベットが目撃するシーンでは、FIXによる室内劇風の撮影と、光と影のドイツ表現主義的演出、クロースアップによる顔=演技といったベルイマン映画を形成する古典的要素がセットで出現している。クロースアップ中にリヴ・ウルマンを後退させ、最初と最後にだけFIXのショットを映すことで、画面中央から左奥への移動が強調される。また、焼身自殺する僧侶が表象する理解不能な世界=内部と、病室(そして孤島)という彼女の閉じこもった状態とが対比され、神なき時代における世界観の断片化が示される。
(なお、ベルイマンは一貫して「個人心理への影響」という役割でしか政治的題材を用いていない。本質的にノンポリな人間といえるだろう。彼自身は、それをスウェーデン人一般の特徴と見なしている節がある。)

*以下は蛇足。なぜベルイマンは女性同士の対立を取り上げるようになったのだろうか。ありきたりな憶測になるが、女性解放の先進国だった北欧において、その先にある問題を見据えていたとも考えられる。この映画の主演はそれぞれ女優と看護師という働く女性だが、その立場の差ははっきりと描かれている。凄まじい単純化であることを断った上で言うが、有り体にいってこれは階級対立である。解放は大いに結構だが、その先は自由競争という新たな牢獄でしかなく、それは必然的に劣等感や羨望を生み出す、アルマのように。
 他方でエリーサベットもまた特有の問題を抱えているわけだが、女優という職業に由来するものとは別に、彼女の社会的成功の背後にネグレクト状態の息子がいることが示されている。もちろん、このような描写には「育児は女性の仕事だ」という前提が潜んでいる、と言いうるだろう。仮にその前提を否定したとしても、「では誰の仕事なのか?」という問いは残るわけで、現実には、(しばしば途上国移民の)ベビーシッターや家政婦といった別の女性がその仕事を代替しているのである。
交わって重なる
顔にだんだん闇が落ちてく感じ
美しすぎて激しい
学生時代、朝の読書の時間にたまたま図書室で手に取った純文学のよう。
難しいが読み進めてしまう妖艶な魅力がある。読後感はまさに上質な本を読んだあとのようだった。

なんとも形容し難いがシルクのような滑らな手触りのイメージ。

他人との境界線が曖昧になる演出がとても好み
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